本実施形態に係る摺動部材1について、図1乃至図3を参照して説明する。図1は、裏金層2の表面にNi−P合金相7と粒状の鋼相6とからなる多孔質焼結層4と樹脂組成物5とからなる摺動層3を形成した摺動部材1の断面を示す模式図である。図2は、摺動面側鋼相粒群6UGの粒状の鋼相6Uの組織を示す拡大図である。図3は、界面側鋼相粒群6LGの粒状の鋼相6Lの組織を示す拡大図である。なお、図2、図3は、粒状の鋼相6の組織中のオーステナイト相11は、理解を容易にするために誇張して描かれている。
図1に示すように、摺動部材1は、裏金層2と摺動層3とからなり、摺動層3は、裏金層2上に形成された多孔質焼結層4と該多孔質焼結層の空孔部および表面に含浸被覆された樹脂組成物5とからなる。また、多孔質焼結層4は、粒状の鋼相6とNi−P合金相7とからなる。この粒状の鋼相6は、摺動部材1の摺動面に対して垂直方向の断面視において、裏金層2の表面に複数個(図1では2個)積層されている。また、Ni−P合金相7は、鋼相6の粒どうし、あるいは、鋼相6の粒と裏金層2の表面とをつなぐバインダとして機能し、鋼相6の粒どうし、あるいは、鋼相6の粒と裏金層2の表面とは、Ni−P合金相7を介して接合している。なお、鋼相6の粒どうし、あるいは、鋼相6の粒と裏金層2の表面とは、直接、接触、あるいは、焼結により接合している部分が形成されていてもよい。また、鋼相6の粒は、表面の一部がNi−P合金相7により覆われていない部分が形成されているが、鋼相6の粒の表面の全てがNi−P合金相7により覆われていてもよい。ただし、多孔質焼結層4の摺動面側に配置された鋼相6Uは、粒の表面のうち摺動面側の表面がNi−P合金相7により覆われないようにすることが好ましい。また、多孔質焼結層4は、樹脂組成物5を含浸させるための空孔を有し、その空孔率は10〜60%である。より好ましくは、空孔率は20〜40%である。
粒状の鋼相6の組成は、炭素成分を0.8〜1.3質量%含有する炭素鋼であり、一般市販されるアトマイズ法による粒状の過共析鋼を用いることができる。このような炭素鋼を用いることで、有機酸や硫黄成分に対する耐食性は、従来の銅合金を用いるよりも優れている。なお、粒状の鋼相6の組成は、前記炭素成分を含有し、さらに、1.3質量%以下のSi、1.3質量%以下のMn、0.05質量%以下のP、0.05質量%以下のSのいずれか1種以上を含有し、残部Feおよび不可避不純物からなる組成であってもよい。また、鋼相6の組織は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相との混合相10と、オーステナイト相11とからなるが、微細な析出物(走査電子顕微鏡を用い1000倍で組織観察を行っても検出できない析出物相)を含むことは許容される。また、粒状の鋼相6は、その表面(Ni−P合金相7との界面となる表面)に、Ni−P合金相7の成分との反応相が形成されていてもよい。そして、このような粒状の鋼相6とNi−P合金相7とから多孔質焼結層4が構成されていることで、有機酸や硫黄成分に対する耐食性に優れている。
多孔質焼結層4における粒状の鋼相6は、平均粒径が45〜180μmであればよい。このような平均粒径の鋼相6を用いることで、多孔質焼結層4には、樹脂組成物5を含浸させるために好適な空孔が形成される。鋼相6の平均粒径が45μm未満であると、多孔質焼結層4に形成される各空孔部のサイズが小さくなり、樹脂組成物5を含浸させ難くなる。一方、鋼相6の平均粒径が180μmを超えると、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面の一部に、高オーステナイト相部8が形成されない場合がある。
図2及び図3に示すように、鋼相6の組織は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相との混合相10と、オーステナイト相11と、からなる。そして、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面には、鋼相6の粒の中心部における組織中のオーステナイト相11の割合に比べてオーステナイト相11の割合が20%以上多くなくなっている高オーステナイト相部8が形成される。この高オーステナイト相部8は、図2に示す鋼相6の粒の断面組織において、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の粒の表面に隣接する略半環状の層部分であり、図3に示す鋼相6の粒の断面組織において、Ni−P合金相7との界面となる表面に隣接する略環状の層部分である。なお、多孔質焼結層4を構成する粒状の鋼相6のうち、粒の個数割合で20%以下の個数の鋼相6(あるいは、鋼相6の全体積に対して20体積%以下)は、組織中にオーステナイト相11が形成されていないことは許容される。また、鋼相6は、組織中にベイナイト相、ソルバイト相、トルースタイト相、マルテンサイト相等を少量(組織中の割合で3%以下)含んでいてもよい。また、図2に示すように、鋼相6の表面のうち、Ni−P合金相7に覆われていない部分(樹脂組成物5と接する部分)の表面には、高パーライト相部8が形成されていないが、この実施形態とは異なり、Ni−P合金相7に覆われていない部分の表面にも高パーライト相部8が形成されていてもよい。
鋼相6におけるフェライト相9は、結晶構造が面心立方構造であり、炭素成分の含有量が最大で0.02質量%と少なく、純鉄に近い組成の相である。一方、鋼相6におけるパーライト相とセメンタイト相との混合相10は、フェライト相と鉄炭化物であるセメンタイト相(Fe3C)とが薄い板状に交互に並んで形成されるラメラ組織の相であるパーライト相と、鉄炭化物であるセメンタイト相と、が混在した相である。このパーライト相とセメンタイト相との混合相10は、フェライト相9よりも炭素成分の量が多い。また、鋼相6におけるオーステナイト相11は、結晶構造が体心立方構造であり、炭素成分の含有量が最大で2.14%である相である。
本発明の摺動部材1の鋼相6の組織は、通常の炭素鋼の組織とは異なるものである。通常の過共析鋼は、低温時にはパーライト相とセメンタイト相とからなる組織(パーライト相とセメンタイト相との混合相10からなる組織)であるが、Acm変態温度(炭素成分の含有量により変わり、例えば、炭素成分の含有量が1.2質量%の過共析鋼の場合には900℃程度)を超える温度に加熱されると、組織がオーステナイト相11からなる単相となる。このオーステナイト相11の単相の組織は、Acm変態温度よりも低い温度に冷却すると、まず、オーステナイト相11の一部がセメンタイト相への相変態(Acm変態)を始めるようになり、A1変態温度(727℃)までの間は、オーステナイト相11とセメンタイト相からなる組織になる。さらに、A1変態温度(727℃)になると、組織中に残存していたオーステナイト相11はパーライト相への相変態(共析変態)を起こす。よって、通常の過共析鋼は、パーライト相とセメンタイト相とからなる組織(パーライト相とセメンタイト相との混合相10からなる組織)となる。また、通常の共析鋼(炭素成分の含有量が0.8質量%の炭素鋼)は、パーライト相からなる単相の組織となる。
本実施形態では、電界放射型走査電子顕微鏡(FE−SEM)と結晶方位像解析装置(EBSD)を組み合わせて用いて摺動部材1の厚さ方向に平行な方向に切断された断面組織において、複数個(例えば5個)の鋼相6の粒の中心部付近と、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面と、の間で観察部を移動させて相分析を行うことで、組織中のオーステナイト相11の有無が確認できる。さらに、相分析により得られた相分布像を、一般的な画像解析手法(解析ソフト:Image−Pro Plus(Version4.5);(株)プラネトロン製)を用いて、鋼相6の表面における高オーステナイト相部8の形成の有無、高オーステナイト相部8の平均厚さ、高オーステナイト相部8の組織中のオーステナイト相11の面積率、オーステナイト相11の平均粒径を測定できる。なお、図2に示すように、鋼相6の表面の一部がNi−P合金相7により覆われていない場合には、鋼相6の表面における高オーステナイト相部8の平均厚さ、高オーステナイト相部8の組織中のオーステナイト相11の面積率、オーステナイト相11の平均粒径を測定する際に、鋼相6の表面がNi−P合金相7により覆われている部分の組織を対象として測定を実施すればよい。
上記した高オーステナイト相部8の厚さは、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面から1〜30μmである。さらに、高オーステナイト相部8の厚さは、1〜10μmとすることが好ましい。また、高オーステナイト相部8の厚さは、鋼相6の平均粒径の20%以下とすることが好ましい。高オーステナイト相部8の厚さが30μm以下であれば、鋼相6の強度に影響しない。一方、高オーステナイト相部8の厚さが1μm未満であると、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面の一部に、高オーステナイト相部8が形成されない場合がある。
また、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の高オーステナイト相部8の表面には、多孔質焼結層4におけるNi−P合金相7から拡散したNi成分が含まれている。多孔質焼結層4のNi−P合金相7から鋼相6の高オーステナイト相部8に拡散したNi成分は極微量であるが、EPMA(エレクトロンプローブマイクロアナライザー)測定により高オーステナイト相部8に拡散したNi成分が確認される。また、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の高オーステナイト相部8の表面から粒の内部へ向かって次第にNi成分の濃度が減少していることが確認できる。
高オーステナイト相部8における組織中のオーステナイト相11の割合は、0.05〜10体積%であればよく、さらに、0.15〜10体積%とすることが好ましい。鋼相6における組織中のオーステナイト相11は、Ni−P合金相7との界面となる表面に近いほど多くなっている。このことから、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面における組織中のオーステナイト相11の面積割合は、上記の高オーステナイト相部8における組織中のオーステナイト相11の体積割合よりもかなり多くなっていると考えられる。また、高オーステナイト相部8における組織中のオーステナイト相11の平均粒径は、0.5〜5μmであればよく、さらに、1〜3μmとすることが好ましい。
なお、鋼相6の高オーステナイト相部8における組織中のオーステナイト相11の割合及びオーステナイト相11の平均粒径の確認方法としては、段落0029に記載した方法により求めることができる。なお、高オーステナイト相部8における組織中のオーステナイト相11の割合は、断面視における面積率として測定したが、この面積率の値は、高オーステナイト相部8における組織中のオーステナイト相11の体積率に相当するものである。
また、粒状の鋼相6の組織は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相との混合相10と、オーステナイト相11と、からなるが、摺動部材1の断面視において裏金層2上に複数個積層された鋼相6のうち、多孔質焼結層4の摺動面側に配置された摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uは、組織中のフェライト相9の平均面積率が10%以下となっており、一方、多孔質焼結層4の裏金層2との界面側に配置された界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lは、組織中のフェライト相9の平均面積率が20%以上となっている。なお、摺動部材1の摺動面に対して垂直方向の断面視において、多孔質焼結層4の表面側(摺動部材1の摺動面側の多孔質焼結層4の表面であって、図1において上側)に配置された複数の鋼相6のうち、鋼相6の粒の表面が、最も上側に位置している鋼相6の粒の表面(摺動面に最も近い表面の頂部)を基準点Pとし、この基準点Pを通り摺動面に対して平行な仮想線(図1の破線で示す線)を多孔質焼結層4の表面Fとする。上記した摺動面側鋼相粒群6UGは、多孔質焼結層4の粒状の鋼相6のうち、多孔質焼結層の表面Fから裏金層2の界面側に向かって鋼相6の粒の平均粒径の値の半分に相当する深さD1の範囲内に鋼相6の断面の少なくとも一部が含まれる鋼相6Uの集まりである。また、界面側鋼相粒群6LGは、多孔質焼結層4の粒状の鋼相6のうち、摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uより裏金層2との界面側に配置された鋼相6Lの集まりであって、摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uを除く鋼相6Lの集まりである。
Ni−P合金相7の組成は、9〜13質量%のPと残部Niおよび不可避不純物からなる。このNi−P合金相7の組成は、Ni−P合金の融点が低くなる組成範囲である。なお、Ni−P合金相7の組成は、10〜12質量%のPと残部Niおよび不可避不純物からなることがより望ましい。裏金層2上に多孔質焼結層4を焼結するときの昇温過程では、後述するが、多孔質焼結層4のNi−P合金相7成分の全てを液相化させて、Ni成分を鋼相6の表面に拡散させる。このNi成分の鋼相6の表面への拡散は、鋼相6の組織中の高オーステナイト相部8の形成、及び、フェライト相9の形成に関係している。また、Ni−P合金相7の組成において、Pの含有量が9質量%未満、あるいは13質量%を超えると、Ni−P合金の融点が高くなる。これにより、焼結時、Ni−P合金の液相の発生量が減少し、Ni成分が鋼相6の表面に拡散し難くなり、鋼相6の組織中に高オーステナイト相部8が形成され難く、また、フェライト相9が形成され難くなる。
なお、Ni−P合金相7は、前記組成に、さらに、選択成分として1〜4質量%のB、1〜12質量%のSi、1〜12質量%のCr、1〜3質量%のFe、0.5〜5質量%のSn、0.5〜5質量%のCuから選択される1種以上を含有させて、Ni−P合金相7の強度を調整してもよい。このように、Ni−P合金相7は、これらの選択成分を含有しても、鋼相6の組織中の高オーステナイト相部8の形成、及び、フェライト相9の形成には影響しない。なお、選択成分の中でCu成分をNi−P合金相7に含有させる場合、Ni−P合金相7の耐食性に影響を及ぼさないようにするため、その含有量は5質量%以下にする必要がある。また、これら選択成分を含有するNi−P合金相7は、Ni素地部が必須成分であるP及び選択成分であるB、Si、Cr、Fe、Sn、Cuを固溶した形態の組織が好ましいが、Ni素地部が含有成分による2次相(析出物、晶出物)を含んだ形態の組織であってもよい。
多孔質焼結層4におけるNi−P合金相7の割合は、多孔質焼結層4の100質量部に対してNi−P合金相7が5〜30質量部であり、より好ましくは、10〜20質量部である。このNi−P合金相7の割合は、鋼相6の粒どうし、あるいは、鋼相6の粒と裏金層2の表面とを結びつけるバインダとなる形態の多孔質焼結層4を形成するために好適な範囲である。Ni−P合金相7の割合が5質量部未満であると、多孔質焼結層4の強度や、多孔質焼結層4と裏金層2との接合が不十分となる。一方、Ni−P合金相7の割合が30質量部を超えると、焼結時、空孔となるべき部分がNi−P合金の液相で充填されてしまうので、多孔質焼結層4の空孔率が小さくなりすぎるようになり、また、摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uの組織中のフェライト相9の割合が多くなってしまう。
樹脂組成物5は、多孔質焼結層4の空孔部および表面に含浸被覆される。図2及び図3に示すように、樹脂組成物5は、多孔質焼結層4の粒状の鋼相6の表面、あるいは、Ni−P合金相7の表面と接している。樹脂組成物5としては、一般的な摺動用の樹脂組成物を用いることができる。具体的には、フッ素樹脂、ポリエーテルエーテルケトン、 ポリアミド、ポリイミド、ポリアミドイミド、ポリベンゾイミダゾール、エポキシ、フェノール、ポリアセタール、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリオレフィン、ポリフェニレンサルファイドのいずれか一種以上の樹脂に、さらに、固体潤滑剤としてグラファイト、グラフェン、フッ化黒鉛、二硫化モリブデン、フッ素樹脂、ポリエチレン、ポリオレフィン、窒化ホウ素、二硫化錫のいずれか一種以上を含む樹脂組成物を用いることができる。また、樹脂組成物5には、さらに充填剤として、粒状、あるいは、繊維状の金属、金属化合物、セラミック、無機化合物、有機化合物のいずれか一種以上を含有させることができる。なお、樹脂組成物5を構成する樹脂、固体潤滑剤、充填剤は、ここで例示したものに限定されない。
図2に示すように、摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uの組織は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相との混合相10と、オーステナイト相11と、からなり、摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uは、組織中のフェライト相9の平均面積率が10%以下となっている。また、摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uは、粒の表面のうち摺動面側の表面がNi−P合金相7により覆われていないが、該摺動面側の表面付近では、組織中のフェライト相9が特に少なくなっている。一方、鋼相6Uは、粒の表面のうち裏金層2側の表面がバインダであるNi−P合金相7と接するが、裏金層2側の表面付近では、組織中のフェライト相9が多くなっている。
図3に示すように、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lの組織は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相の混合相10と、オーステナイト相11と、からなり、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lは、組織中のフェライト相9の平均面積率が20%以上となっている。鋼相6Lにおけるフェライト相9は、炭素成分の含有量が最大で0.02質量%と少なく、純鉄に近い組成の相である。一方、鋼相6Lにおけるパーライト相とセメンタイト相との混合相10は、フェライト相と鉄炭化物であるセメンタイト相(Fe3C)とが薄い板状に交互に並んで形成されるラメラ組織の相であるパーライト相と、鉄炭化物であるセメンタイト相と、が混在した相である。また、パーライト相とセメンタイト相との混合相10は、フェライト相9よりも炭素成分の量が多く、フェライト相9よりも硬い相である。そして、樹脂組成物5あるいはNi−P合金相7との界面となる鋼相6Lの表面付近の組織中には、鋼相6Lの粒の中心部における組織中よりも多くのフェライト相9が形成されている。なお、本発明におけるフェライト相9は、前記したパーライト相を構成するフェライト相を含まない。
なお、図2に示す摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uの組織、及び図3に示す界面鋼相粒群6LGの鋼相6Lの組織は、一例であり、図2及び図3に示す組織には限定されない。鋼相6U及び鋼相6Lは、粒の表面の全体がNi−P合金相7により覆われた形態でもよく、また、組織中にフェライト相9が均一に分布した形態であってもよい。
本実施形態では、電子顕微鏡を用いて摺動部材1の厚さ方向に対して平行方向に切断された複数個所(例えば、3箇所)の断面組織を倍率500倍で電子像を撮影し、その画像を一般的な画像解析手法(解析ソフト:Image−Pro Plus(Version4.5);(株)プラネトロン製)を用いて、まず、段落0034で説明した摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uと界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lとの区分けを行う。次に、同手法を用い、摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uの組織中のフェライト相9の平均面積率、および、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lの組織中のフェライト相9の平均面積率を測定する。
図3に示すように、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lは、粒の表面でのフェライト相9の面積率が50%以上であるものが、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lの全体に対する体積割合で50%以上になっていることで、さらに、摺動層3のNi−P合金相7との接合を強くすることができる。
なお、鋼相6Lの粒の表面におけるフェライト相9の面積率は、直接、測定はできないが、電子顕微鏡を用いて摺動部材1の厚さ方向に対して平行方向に切断された複数個所(例えば、3箇所)の断面組織を倍率500倍で電子像を撮影し、その画像を一般的な画像解析手法(解析ソフト:Image−Pro Plus(Version4.5);(株)プラネトロン製)を用いて、画像中の各鋼相6Lの輪郭線の全長に対するフェライト相9による輪郭線の長さの割合(鋼相6Lの外周である輪郭線のうちフェライト相9に相当する部分の長さの割合)を測定することにより確認できる。次に、画像中の界面側鋼相粒群6LGの全鋼相6Lの面積の和(A1)と、粒の表面におけるフェライト相9の面積率が50%以上であった鋼相6Lの面積の和(A2)を測定し、その比(A2/A1)を算出することで、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lの全体積に対して粒の表面でのフェライト相9の面積率が50%以上であった鋼相6Lの体積割合(体積率)を確認することができる。
図4は、別実施形態の多孔質焼結層4を形成した摺動部材1の断面を示す模式図である。この多孔質焼結層4では、図4に示すように、摺動部材1の摺動面に対して垂直方向の断面視において、粒状の鋼相6が、裏金層2の表面に3個積層されており、図1に示した多孔質焼結層4よりも多くの粒状の鋼相6が、裏金層2の表面に積層されている。なお、粒状の鋼相6は、裏金層2の表面に4個以上積層されてもよい。
次に、従来の摺動部材11における摺動層13の炭素鋼粉末を焼結した多孔質焼結層14について、図6を参照して説明する。図6は、従来の裏金層12上に組織がパーライト相とセメンタイト相とからなる炭素鋼(過共析鋼)粉末を焼結した多孔質焼結層14を形成した摺動部材20を示す模式図である。焼結後の多孔質焼結層14の組織は、パーライト相とセメンタイト相とからなり、多孔質焼結層14の表面(炭素鋼の表面)と内部とにおいてパーライト相とセメンタイト相の割合に差はなく、また、組織中にはオーステナイト相やフェライト相が形成されない
図6に示すように、従来の裏金層12上に組織がパーライト相とセメンタイト相とからなる炭素鋼(過共析鋼)粉末を焼結した多孔質焼結層14は、鋼相(炭素鋼粉末)どうしの接合が弱く、強度が低くなる。これは、裏金層12の表面に多孔質焼結層14を形成するための焼結工程の加熱と焼結後の冷却による鋼相の組織変化(相変態)に起因する。詳しくは、裏金層12の表面に粒状の鋼相(炭素鋼粉末)を散布した後、鋼相どうし、及び、鋼相と裏金層12との間で焼結が起こる温度(例えば1000℃)まで加熱したときの鋼相の組織は、完全にオーステナイト相になる。焼結工程においては、オーステナイト相からなる組織となっている鋼相どうしの表面が接合することで多孔質焼結層14が形成される。鋼相は、焼結後の冷却工程で、Acm変態温度(例えば炭素成分の含有量が1.2質量%の過共析鋼の場合には900℃程度)になると、オーステナイト相の一部が、セメンタイト相への相変態を始め、さらに、A1変態温度(727℃)以下になると、組織中に残存していたオーステナイト相がパーライト相への相変態(共析変態)を起こし、パーライト相とセメンタイト相とからなる組織となる。オーステナイト相と、パーライト相やセメンタイト相とは、結晶構造が異なるので、これら組織変化(相変態)したときに鋼相の体積変化が起こる。この体積変化により、オーステナイト相からなる組織となっていた鋼相の表面どうしが接する接触面でせん断が起こるか、あるいは、せん断が起こらなかったとしても残留応力が発生する。このため、従来の摺動部材11は、多孔質焼結層14の強度が低くなる。
本実施形態に係る摺動部材1において、鋼相6は、炭素成分の含有量が0.8〜1.3質量%の炭素鋼であるとともに、鋼相6の組織は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相との混合相10と、オーステナイト相11と、からなり、Ni−P合金相7は、粒状の鋼相6どうし及び粒状の鋼相6と裏金層2とをつなぐバインダとして機能しており、Ni−P合金相7との界面となる粒状の鋼相6の表面には、粒状の鋼相6の中心部における組織中のオーステナイト相11の割合に比べてオーステナイト相11の割合が20%以上多くなっている高オーステナイト相部8が形成されていることで、多孔質焼結層4の強度が高くなる。詳しくは、焼結工程においてオーステナイト相11からなる組織となっていた鋼相6の表面とNi−P合金相7と接合するが、焼結後の冷却によっても、Ni−P合金相7は相変態(組織変化)することなく、一方、鋼相6の表面に高オーステナイト相部8としてオーステナイト相11が残存しているので、鋼相6の表面におけるオーステナイト相11とNi−P合金相7との接合状態が分散し残存する。このため、本実施形態の摺動部材1は、多孔質焼結層4の強度が高くなる。
さらに、本実施形態では、多孔質焼結層4の鋼相6は、図6に示した従来の摺動部材20と同じく、組織がパーライト相とセメンタイト相とからなる炭素鋼(過共析鋼)粉末を用いるが、焼結後の多孔質焼結層4の鋼相6の組織は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相との混合相10と、オーステナイト相11と、からなる。この鋼相6は、Ni−P合金相7をバインダとし裏金層2の表面に複数個積層されているが、多孔質焼結層4の裏金層2との界面側に配置された界面側鋼相粒群6LGでは、粒状の鋼相6Lの組織中のフェライト相9の平均面積率が20%以上となっていることで、摺動部材1が使用され温度が上昇した場合でも、多孔質焼結層4のNi−P合金相7と界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lとの界面での熱膨張量の差が小さく、その界面でのせん断が起き難くなり、Ni−P合金相7と界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lとの接合が強くなり、多孔質焼結層4の強度を高めることができる。
なお、段落0040に記載したが、セメンタイト相は鉄炭化物(Fe3C)であり、パーライト相は、このセメンタイトを含むために、熱膨張係数が小さいが、フェライト相9は、炭素成分の含有量が最大で0.02質量%と少なく純鉄に近い組成の相であり、セメンタイト相やパーライト相に比べて熱膨張係数が大きく、Ni−P合金相7との熱膨張係数の差が小さい。このため、多孔質焼結層4のNi−P合金相7との界面となる鋼相6Lの粒の表面に露出するフェライト相9の部分は、鋼相6Lの粒の表面とNi−P合金相7との界面での熱膨張量の差により発生するせん断力が低くなるので接合が強くなり、多孔質焼結層4の強度が高くなる。
一方、多孔質焼結層4の摺動面側に配置された摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uは、組織中のフェライト相9の平均面積率が10%以下となっている。摺動部材1が使用され、多孔質焼結層4の表面に被覆した樹脂組成物5が摩耗すると、多孔質焼結層4の摺動面側に配置された摺動面側鋼相粒群6UGの粒状の鋼相6Uが露出するようになるが、鋼相6Uは、組織中のフェライト相9の平均面積率が10%以下になっていることで十分な硬さを有することから、摺動部材1の摺動層3の耐摩耗性が高くなる。なお、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lは、組織中のフェライト相9の平均面積率が20%以上であるため、摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uに比べて硬さが低くなるが、摺動面に露出することはなく、摺動層3の耐摩耗性には影響しない。
次に、本実施形態に係る摺動部材1の作製方法について説明する。まず、炭素成分を0.8〜1.3質量%含有する炭素鋼のアトマイズ粉末とNi−P合金のアトマイズ粉末との混合粉を準備する。この混合粉の準備時には、多孔質焼結層4のNi−P合金相7となる成分を、Ni−P合金の粉末の形態で含ませる必要がある。また、Ni−P合金相7に、B、Si、Cr、Fe、Sn、Cu等の選択成分を含有させる場合には、それら選択成分を含んだNi−P合金のアトマイズ粉末と炭素鋼のアトマイズ粉末との混合粉を準備する必要がある。また、Ni−P合金の粉末は、炭素鋼の粉末(鋼相6)の平均粒径に対して10〜30%の平均粒径であるものを用いる必要がある。なお、混合粉におけるNi−P合金の粉末の割合は、混合粉の100質量部に対してNi−P合金の粉末を5〜30質量部とすることが好ましい。
そして、室温で、準備した混合粉を裏金上に散布し、粉末散布層を形成する。図5には、粉末散布層の焼結前の状態を示す。図5に示すように、粉末散布層中では、炭素鋼の粉末6p(鋼相6)は、裏金層2の表面に複数個(図5では2個)積層されている。Ni−P合金の粉末7pは、炭素鋼の粉末6p(鋼相6)の平均粒径に対して10〜30%の平均粒径であるものを用いると、炭素鋼の粉末6p(鋼相6)どうしの間の隙間や炭素鋼の粉末6p(鋼相6)と裏金層2の表面の間の隙間に多く存在するようになり、多孔質焼結層4の表面となる粉末散布層の表面付近では、粉末散布層の内部に比べてNi―P合金の粉末7pが少なくなる。これは、混合粉を裏金層2の表面に散布している際に、粉末散布層の表面付近に散布されたNi−P合金の粉末7pが、重力や散布時の振動の影響を受けて炭素鋼の粉末6p(鋼相6)どうしの間の隙間を通り、裏金層2の表面との界面側へ向かって流動しやいように、炭素鋼の粉末6pの平均粒径とNi−P合金の粉末7pの平均粒径とを選択しているからである。
次に、粉末散布層を加圧することなく焼結炉を用いて、930〜1000℃の還元雰囲気中で焼結する。なお、裏金層2は、従来から一般的な炭素鋼、オーステナイト系ステンレス鋼、フェライト系ステンレス鋼、Ni合金等の板や条を用いることができるが、これらに限定されないで他の組成の金属の裏金を用いてもよい。焼結時において、昇温途中の880℃になると、9〜13質量%のPと残部Niの組成からなるNi−P合金の粒が溶融を始める。その液相は、炭素鋼(鋼相6)の粒どうしや、炭素鋼(鋼相6)の粒と裏金層2の表面との間で流動し、裏金層2の表面上に多孔質焼結層4の形成が開始される。9〜13質量%のPと残部Niの組成からなるNi−P合金の粒は、950℃で完全に液相となる。なお、Pの含有量範囲を少なくした10〜12質量%のPと残部Niの組成からなるNi−P合金の粒は、930℃で完全に液相となる。
焼結温度は、Ni−P合金の粒が、完全に溶融する温度以上に設定されている。また、Ni−P合金の組成は、後述するが、炭素鋼(鋼相6)の組織が完全にオーステナイト相11となる温度(Acm変態点)以上で、完全に溶融する組成になされている。
炭素成分を0.8〜1.3質量%含有する炭素鋼の焼結前の組織は、パーライト相とセメンタイト相との混合相10とからなる組織であるが、焼結時の昇温過程で727℃(A1変態点)になると、これら組織は、オーステナイト相11への変態を始め、900℃では完全にオーステナイト相11からなる組織となる。このオーステナイト相11は、パーライト相やセメンタイト相よりもFe原子間の隙間(距離)が大きくなるので、多孔質焼結層4におけるNi−P合金相7のNi原子が、この隙間に侵入する拡散が起こり易い状態となる。上記したように、Ni−P合金の組成は、鋼相6の組織が完全にオーステナイト相11となる温度(Acm変態点)以上で、完全に溶融する組成になされており、焼結温度は、Ni−P合金の粒が、完全に溶融する温度以上に設定されている。これは、液相状態のNi−P合金相7中のNi原子は、固相状態のNi−P合金相7中のNi原子よりも、鋼相6の表面におけるオーステナイト相11中への拡散が起こり易いからである。
なお、Ni原子の拡散は、鋼相6とNi−P合金相7との接触部のみで起こるのではなく、Ni原子は、この接触部から鋼相6とNi−P合金相7とが直接、接触しない部分である鋼相6の表面(摺動層3の樹脂組成物5と接することになる鋼相6の表面)へも拡散する。
焼結時、Ni−P合金が完全に液相状態となり、且つ、鋼相6が完全にオーステナイト相11からなる組織の状態となることが組み合わさって、鋼相6の表面にNi原子が拡散する。このNi原子は、オーステナイト相11に固溶される結果、オーステナイト相11のFe原子間の隙間に固溶されていた炭素原子が、鋼相6の内部側(粒の中心部側)へ追い出されるように拡散する。
なお、液相状態にあったNi原子は、鋼相6の表面におけるオーステナイト相11へ拡散し、固溶されるのと同時に固相となるので、Ni原子は鋼相6の表面付近へ多く拡散する。焼結時の昇温過程での鋼相6の表面へのNi原子の拡散により、鋼相6の表面付近の組織のオーステナイト相11は、内部のオーステナイト相11に比べて熱力学的に安定化すると考えられる。そして、鋼相6の表面におけるオーステナイト相11中へのNi成分の拡散、及び、オーステナイト相11の安定化は、後述する冷却過程での鋼相6の組織中の高オーステナイト相部8の形成、及び、フェライト相9の形成に関係している。
焼結後の冷却過程では、900℃から700℃に降温する間、鋼相6の組織がオーステナイト相11であったものが、727℃(A1変態点)まで降温する間に組織中に初析セメンタイト相が多量に析出したり、727℃(A1変態点)でオーステナイト相11がパーライト相10に共析変態したりすることを防ぎ、700℃になったときにオーステナイト相11とオーステナイト相11の一部が相変態したセメンタイト相とからなる組織となるように急速に冷却する。なお、前述したように、昇温過程にて液相化したNi−P合金相7のNi成分は、鋼相6の表面におけるオーステナイト相11へ拡散させる。このように、Ni成分を含むことでオーステナイト相11が安定化し、冷却過程の727℃(A1変態点)での共析変態が起き難くなるので、700℃になったときでも鋼相6の表面付近の組織中にオーステナイト相11を残留させることが容易になる。具体的な冷却方法の例としては、多孔質焼結層4の表面側のみに、直接、冷却ガス(例えば、窒素ガス)の噴射流(例えば、多孔質焼結層4の表面での衝突圧1.1MPa以上)を吹付けて急速に冷却すればよい。また、鋼相6を700℃から室温まで降温させる間は、鋼相6の組織中のオーステナイト相11がパーライト相に変態するような冷却速度で徐冷すればよいが、室温まで冷却した後でも、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面付近の組織中には、粒状のオーステナイト相11が分散し残存している。前記したように、焼結工程において、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面のオーステナイト相11に、Ni−P合金相7のNi成分が拡散することで、表面付近のオーステナイト相11が熱力学的に安定化し、室温まで冷却してもオーステナイト相11の一部が残存した組織となると考えられる。
また、実施形態とは異なり、700℃から室温まで降温させる間の冷却を急速にすることで、鋼相6の表面の組織中に残存するオーステナイト相11の割合を多くできるが、この場合の組織は、マルテンサイト相またはベイナイト相等を主体とした組織となってしまい、鋼相6が硬く、さらに脆くなるので、円筒形状の軸受への成形加工を施す必要がある摺動部材1の多孔質焼結層4としては不適となる。
また、鋼相6の組織中にフェライト相9が現れるのは、前記したように鋼相6の組織がオーステナイト相11であったときに、Ni原子が拡散して炭素原子の濃度が低くなった部位が鋼相6のオーステナイト相11の組織中に部分的に形成され、この炭素原子の濃度が低くなった部位のオーステナイト相11が、冷却過程で727℃(A1変態点)以下になると、フェライト相9とパーライト相に変態した(一部は、変態することなく残留する)と考える。以上の機構により、鋼相6は、炭素成分の含有量が0.8〜1.3質量%である過共析鋼(通常は、パーライト相とセメンタイト相とからなる組織)を用いるが、焼結後の組織は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相との混合相10と、オーステナイト相11と、からなる組織となる。
なお、焼結時の昇温過程で完全にオーステナイト相11からなる単相の組織とした鋼相6を、冷却過程において本実施形態の鋼相6の組織に変態させるための冷却速度、冷却時間は、亜共析鋼や過共析鋼に関するCCT曲線図(連続冷却変態曲線図)やTTT曲線図(等温変態曲線図)を参照して決められる。
以上の機構により、鋼相6は、フェライト相9と、パーライト相とセメンタイト相との混合相10と、オーステナイト相11とからなる組織となり、さらに、Ni−P合金相7との界面となる鋼相6の表面には、鋼相6の粒の内部における組織中のオーステナイト相11の割合に対し、組織中のオーステナイト相11の割合が20%以上多くなっている高オーステナイト相部8が形成される。なお、鋼相6は、組織中にベイナイト相、ソルバイト相、トルースタイト相、マルテンサイト相等を少量(組織中の割合で3%以下)含んでいてもよい。
また、図5に示すように、焼結前の粉末散布層の表面側では、焼結後にNi−P合金相7となるNi−P合金の粉末7pの割合を少なくすることで、焼結中に、炭素鋼の粉末6p(鋼相6)に対するNi−P合金中のNi原子の拡散が、粉末散布層の表面側に積層された炭素鋼の粉末6p(鋼相6U)に対しては起き難くなり、粉末散布層の裏金層3との界面側に積層された炭素鋼の粉末6p(鋼相6L)に対しては起きやすくなっている。このため、焼結後の多孔質焼結層4では、断面視において複数個積層された鋼相6のうち、多孔質焼結層4の摺動面側に配置された摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uは、組織中のフェライト相9の平均面積率が10%以下と少なくなるのに対し、多孔質焼結層4の裏金層2との界面側に配置された界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lは、組織中のフェライト相9の平均面積率が20%以上と多くなっている。
また、多孔質焼結層4の摺動面側に配置された摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uは、多孔質焼結層4の裏金層2との界面側に配置された界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lに比べて拡散するNi原子の量が少ないが、特に、鋼相6Uの粒の表面のうち摺動面側の表面には、Ni原子が拡散しないか、僅かに拡散する程度である。また、多孔質焼結層4の摺動面側に配置された鋼相6Uは、粒の表面のうち摺動面側の表面がNi−P合金相7により覆われないようにすることで、多孔質焼結層4の摺動面側の表面を、粒状の鋼相6Uの表面によって形成することができる。
また、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lとして、粒の表面でのフェライト相9の面積率が50%以上であるものが、界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lの全体に対する体積割合で50%以上とする場合には、段落0052に記載した混合粉の準備にて、炭素鋼の粉末(鋼相6)として、本発明範囲の中では炭素成分が少ない炭素鋼(例えば、炭素の含有量が0.8〜1.1質量%である炭素鋼の粉末)を用いたり、多孔質焼結層4におけるNi−P合金相7の割合を25〜30%質量部と多くしたり、あるいは、段落0054に記載した焼結温度や加熱時間等の調整によって、鋼相6Lの粒の表面へのNi原子が拡散する量が多くなるようにすれば、焼結後の鋼相6Lの組織中のフェライト相9の平均面積率を高くすることができる。
上記のように裏金層2の表面上に多孔質焼結層4が形成された部材には、予め準備された樹脂組成物5(有機溶剤にて希釈してもよい)が、多孔質焼結層4の空孔部を充填し、多孔質焼結層4の表面を被覆するように含浸される。そして、この部材は、樹脂組成物5の乾燥、焼成のための加熱が施され、裏金層2の表面上に多孔質焼結層4と樹脂組成物5とからなる摺動層3が形成される。なお、樹脂組成物5としては、段落0038に記載した樹脂組成物を用いることができる。また、本発明の摺動部材1は、予め、摺動面に切削加工や研削加工等を施して、摺動面に多孔質焼結層4の摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uを露出させることもできる。
なお、本実施形態の鋼相6には、アトマイズ法によって製造された粒状の炭素鋼の粉末を素材として用いることが望ましい。炭素鋼のアトマイズ粉末は、結晶組織に歪(原子空孔)が導入されている。この歪は、炭素鋼の結晶組織で本来、Fe原子が存在すべき部位にFe原子が存在しない原子レベルの隙間が形成されている欠陥部である。焼結時の昇温過程で鋼相6(炭素鋼)における結晶の歪は、徐々に鋼相6の表面側へ移動して消滅するが、この歪と置き換わるようにNi―P合金相7のNi原子が、鋼相6の表面側の結晶中で歪があった部位へ拡散するようになる。一方、塊状の鋳鋼を機械粉砕した粉砕粉を用いた場合、粉砕粉は、アトマイズ粉末よりも結晶の歪が非常に少ないので、鋼相6の表面へのNi原子の拡散が起こり難い。
また、本実施形態では、上記のように炭素鋼のアトマイズ粉末とNi−P合金のアトマイズ粉末との混合粉を用いたが、鋼相とNi―P合金相との成分を予め合金化したFe−Ni−P−C系合金のアトマイズ粉を用いた場合、多孔質焼結層はFe−Ni合金相の素地に、遊離セメンタイト相(Fe3C)やFe−P化合物相(Fe2P,Fe3P)やNi―P化合物相(Ni3P)が混在した組織となり、多孔質焼結層の強度が低くなる。また、Ni粉末とFe−P−C系合金粉末との混合粉を用いた場合、焼結時には、粉末組成のNi成分の一部が液相化するのみで、液相の発生量が少なく、鋼相の表面へのNi原子の拡散が殆ど起こらない。このため、鋼相の組織中にフェライト相が形成されない。また、この液相はNi3Pを主体とするので、焼結後のNi相と鋼相との界面にNi3P相(金属間化合物)が介在するように形成される。このNi3P相は、硬質であるが脆く、多孔質焼結層の強度が低くなる。
また、本実施形態における多孔質焼結層4のNi−P合金相7の組成としてB、Si、Cr、Fe、Sn、Cu等の選択成分を含有させる場合、前述したように、これら選択成分を含むNi−P合金のアトマイズ粉末と炭素鋼のアトマイズ粉末との混合粉を準備し、裏金上で焼結する。この実施形態とは異なり、混合粉にB、Si、Cr、Fe、Sn、Cu等の選択成分の単独の粉末、あるいは、これら選択成分どうしの合金の粉末の形態で含有させる場合、焼結後の多孔質焼結層4の粒状の鋼相6どうし、あるいは、鋼相6と裏金とを接合するバインダ部は、Ni−P合金相と、選択成分からなる相と、Ni−P合金相と選択成分の相との間に形成される反応相と、によって構成されるようになり、多孔質焼結層の強度が低くなる。特に、Sn成分は、前記混合粉に純Sn粉末、あるいは、Sn基合金の形態で含ませることは避けるべきである。純Sn、Sn基合金は融点が低く、焼結時の昇温過程における極初期の232℃程度で液相となるが、液相となったSn原子と鋼相の表面のFe原子とが反応し、Ni−P合金相と鋼相との界面にFe2Sn相やFe3Sn相(金属間化合物)が介在するように形成され、鋼相の組織中にフェライト相が形成されなくなる。さらに、このFe2Sn相やFe3Sn相は、硬質であるが脆く、Ni−P合金相と鋼相との接合が非常に弱くなる。
また、本実施形態では、多孔質焼結層4における摺動面側鋼相粒群6UGの鋼相6Uと界面側鋼相粒群6LGの鋼相6Lとは、同じ組成の炭素鋼(過共析鋼)粉末を用いながらも、組織中のフェライト相9の割合を異なるようにしているので、摺動部材1を安価に製造することができる。これに対し、予め、炭素成分の含有量が異なり、組織中のフェライト相の割合が異なる2種類の組成の炭素鋼(亜共析鋼)粉末を、別々に、裏金層上に散布した場合には、多孔質焼結層の厚さの寸法精度が悪くなり、また、散布の工程の増加によって摺動部材が高価となる。