赤目町 (愛西市)
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赤目町 | |
---|---|
字中屋敷にある「赤目産業組合発祥之地顕彰碑」 | |
北緯35度12分13.1秒 東経136度41分53.6秒 / 北緯35.203639度 東経136.698222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 愛西市 |
町名制定 | 2005年(平成17年)4月1日 |
面積 | |
• 合計 | 1.257888529 km2 |
人口 | |
• 合計 | 539人 |
• 密度 | 430人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
496-8046[WEB 3] |
市外局番 | 0567(津島MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
赤目町(あかめちょう)は、愛知県愛西市にある地名。字が13ある。
地理
[編集]旧八開村域南端に位置する。
字一覧
[編集](配列は五十音順・読みは「Yahoo!地図」による[WEB 5])
- 江東(えひがし)
- 上屋敷(かみやしき)
- 下堤畦(しもていけい)
- 杉土居(すぎどい)
- 新海用(しんみよ)
- 堤敷(ていしき)
- 中屋敷(なかやしき)
- 沼(ぬま)
- 東流作(ひがしりゅうさく)
- 海用(みよ)
- 山之神(やまのかみ)
- 横座(よこざ)
- 流作(りゅうさく)
河川
[編集]歴史
[編集]当町のルーツは尾張国海西郡赤目村であるが、元々は現在の元赤目町・二子町あたりに所在したものが、この地域を支配した横井氏によって、当時落伏(おちぶせ[1])村と称していた現在地に地名ごと移転した。元の赤目村は古赤目村と改称し、後に二子町の一部となっている。
地名の由来
[編集]この地域で多く捕れたというボラ科のメナダ(赤目魚)の名に由来するとも、『尾張國地名考』によると赤水ないし赤目馬に由来するともいう[2]。
沿革
[編集]- 1774年(安永3年) - 横井丹後守が赤目村より落伏村に在所を移転。赤目村を古赤目村・落伏村を赤目村と改称する[1]。
- 1889年(明治22年) - 八輪村大字赤目となる[3]。
- 1906年(明治39年) - 八開村大字赤目となる[3]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 愛西市赤目町となる。
世帯数と人口
[編集]2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
赤目町 | 236世帯 | 539人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 45世帯 225人 |
|
2000年(平成12年)[WEB 7] | 53世帯 223人 |
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2005年(平成17年)[WEB 8] | 57世帯 219人 |
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2010年(平成22年)[WEB 9] | 156世帯 488人 |
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2015年(平成27年)[WEB 10] | 156世帯 470人 |
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2020年(令和2年)[WEB 11] | 151世帯 456人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 12]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 愛西市立八輪小学校 | 愛西市立八開中学校 |
交通
[編集]バス
[編集]停留所名 | ルート | |
---|---|---|
83 | 明範荘 | 八開 |
84 | 赤目町 | 八開 |
道路
[編集]施設
[編集]- 愛知県警察津島警察署八輪駐在所
- 曹洞宗国音山一心寺
- 真宗大谷派宝樹山光耀寺
- 秋葉神社
- 神明社
- 天理教本中村分教会
- ガーデンハウス明範荘
- 字山之神30-1に所在。社会福祉法人貞徳会が運営する養護老人ホームおよび特別養護老人ホーム[WEB 15]。貞徳会は1961年(昭和36年)6月、江西村(現愛西市江西町)出身の政治家石原永明が晩年の1960年(昭和35年)8月に菩提寺である西導寺の住職矢留道雄に託した3000万円の基金を元手にして設立されたもので、明範荘はその2年後の1962年(昭和37年)10月1日に開所[8](定員50名)[WEB 15]。開所当時は古材を使用した木造だったが、1971年(昭和46年)3月に愛知県補助金を元に鉄骨壁ブロック造陸屋根一部二階建てとして建替えを行った[WEB 15]。さらに1968年(昭和43年)に県補助金により明範荘特別養護老人ホームが併置された[8][WEB 15]。このときの定員は50名だったが、1974年(昭和49年)に日本自転車振興会補助金により定員を50名増やし、1979年(昭和54年)内部改装により定員を10名増やした[WEB 15]。2004年(平成16年)11月、旧施設の老朽化に伴い現在地に移転新築された[WEB 15]。同時にデイサービスも開始した[WEB 15]。貞徳会という名称は1959年(昭和34年)に亡くなった永明夫人範子の院号「貞徳院」に、明範荘は永明と範子の名に由来する名であるという[8]。
史跡
[編集]- 赤目城跡
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 八開村史編さん委員会 (2000, p. 761)では1985年(明応4年)としている。
出典
[編集]WEB
[編集]- ^ “愛知県愛西市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年5月14日閲覧。
- ^ a b “人口・世帯数(八開地区)” (PDF). 愛西市 (2019年5月1日). 2019年5月14日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年5月13日閲覧。
- ^ “愛西市赤目町”. Yahoo!地図. 2013年9月15日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “小・中学校”. 愛西市. 2022年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月14日閲覧。
- ^ “愛西市巡回バス”. 愛西市. 2024年4月9日閲覧。
- ^ “新市の住所表示「祖父江町」”. 稲沢市. 2013年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g “沿革”. 社会福祉法人貞徳会. 2013年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月17日閲覧。
書籍
[編集]- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 330.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 80.
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 81.
- ^ a b c 有限会社平凡社地方資料センター 1981, p. 473.
- ^ a b c 八開村史編さん委員会 2000, p. 761.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 604.
- ^ a b c d e f g 愛知県神社庁 1992, p. 375.
- ^ a b c 八開村史編さん委員会 2000, pp. 779–780.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 23(愛知県)、角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系』 第23巻(愛知県の地名)、平凡社、1981年11月。全国書誌番号:83008109。
- 八開村史編さん委員会 編『八開村史』 通史編、八開村、2000年3月。全国書誌番号:20046863。
- 愛知県神社庁『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁、1992年8月。全国書誌番号:93018567。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、赤目町 (愛西市)に関するカテゴリがあります。
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