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山本明彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 明彦
やまもと あきひこ
2020年10月20日撮影
生年月日 (1947-04-01) 1947年4月1日(77歳)
出生地 愛知県宝飯郡一宮町(現・豊川市
出身校 名古屋大学工学部建築学科
前職 会社社長
愛知県議会議員
所属政党 自由民主党安倍派
称号 工学士
旭日重光章2017年
親族 義父・山本寛開(愛知県議会議員)

選挙区 愛知15区
当選回数 3回
在任期間 2000年6月25日 - 2009年7月21日

選挙区 豊橋市選挙区
当選回数 3回
在任期間 1987年4月30日 - 1999年4月29日
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山本 明彦(やまもと あきひこ、1947年4月1日 - )は、日本政治家。元自由民主党所属の衆議院議員(3期)。

財政政策金融政策に詳しく、経済産業大臣政務官第2次小泉改造内閣)、自由民主党金融専任部会長・財務金融部会長内閣府副大臣金融行政改革公務員制度改革拉致問題等担当)(第1次安倍改造内閣福田康夫内閣)、愛知県議会議員などを歴任した。

義祖父・山本一二は豊橋市議会議長・愛知県議会議員。義父・山本寛開は愛知県議会議員。

経歴

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愛知県宝飯郡一宮町(現・豊川市)出身。愛知県立時習館高等学校卒業。1969年3月、名古屋大学工学部建築学科卒業。同年4月、株式会社フジタに就職。一級建築士などの資格を持つ。建設会社社長、自動車学校社長、豊橋青年会議所理事長、日本青年会議所長期政策会議議長などを務めた[1]

義父の山本寛開が1987年の愛知県議会議員選挙への不出馬を決め、その後継候補となる。自民党は定数5の豊橋市選挙区において、現職の菅沼義美、同じく現職の柿原春次、山本の3名に公認を出した。4月12日に投票は行われ、元衆議院議員の岡田哲児の子の柏熊光代(社会党)が初出馬ながらトップ当選を果たした。山本は2位で初当選。柿原は5位当選の広木良次(公明党)に259票差で敗れ、落選した[2]。1995年に3選。

2000年6月、村田敬次郎から地盤を引継ぎ、衆議院議員選挙に愛知15区から立候補し初当選。以降引退まで連続当選3回。第2次小泉改造内閣経済産業大臣政務官。その後、自民党金融専任部会長、自民党財務金融部会長、衆議院財務金融委員会筆頭理事。第1次安倍改造内閣・福田内閣では内閣府副大臣金融行政改革公務員制度改革拉致問題等担当)を務め、麻生内閣では自民党財務金融部会長代理・自民党住宅土地調査会事務局長。

2009年第45回衆議院議員総選挙では民主党森本和義に敗れ、重複立候補していた比例東海ブロックでも復活できず落選。2010年9月21日、政界引退を表明。

2017年4月29日付の春の叙勲で、旭日重光章を受章[3]

主な活動

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衆議院初当選後は、一貫して大蔵・財務金融委員会に所属。現在は「まずは景気回復」を旗頭に財政・金融畑を歩く。他にも農政・教育・社会保障・インフラ整備等をライフワークに議員活動を続けた。

国会議員の中でも建築の教育をうけて専門資格も持ち、「耐震偽装問題(構造計算書偽造問題)」での対応・対策議論では現場出身者として中心的役割を果たしてきた。党住宅土地調査会事務局長としては「住宅ローン減税」の旗振り役として景気対策に力を注いだ。

選択的夫婦別姓制度導入にも賛同し[4]例外的に夫婦の別姓を実現させる会にも参加した。

政界引退後の2011年1月。地元東三河の若手経営者らを集め、政治・経済・経営勉強会「吉田塾」を設立。月1回例会で幅広い分野の講師招聘を続け、10年超、勉強会活動が続いている[5][6]

所属していた団体・議員連盟

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脚注

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  1. ^ 経済産業大臣政務官 山本明彦 首相官邸ホームページ
  2. ^ 各選挙の候補者別得票数(昭和21年以降)” (PDF). 豊橋市役所. 2020年6月14日閲覧。
  3. ^ 読売新聞 2017年4月29日 13面
  4. ^ 野田聖子「選択的夫婦別姓制度」2001年11月6日
  5. ^ 吉田塾”. 吉田塾事務局. 2011年12月1日閲覧。
  6. ^ 豊橋で「吉田塾」10周年記念例会 松野官房長官が講演”. 東愛知新聞. 2024年10月8日閲覧。
公職
先代
平沢勝栄
大村秀章
林芳正
日本の旗 内閣府副大臣
木村勉
中川義雄と共同

2007年 - 2008年
次代
増原義剛
宮沢洋一
谷本龍哉
先代
江田康幸
菅義偉
日本の旗 経済産業大臣政務官
平田耕一と共同

2004年 - 2005年
次代
片山さつき
小林温