日本陸上競技連盟小史
1912~1940
- 1912大正1年
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第5回ストックホルムオリンピック大会開催。日本から三島弥彦、金栗四三の2選手がオリンピックに初参加する。
三島弥彦 - 1913大正2年
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日本体育協会が第1回陸上競技会を陸軍戸山学校で開催。
- 1916大正5年
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ドイツで開催が予定されていた第6回オリンピック大会は第1次世界大戦のため中止となる。
- 1920大正9年
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第7回アントワープオリンピック大会開催。日本からは男子12名が参加。
- 1924大正13年
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日本体育協会が国際陸上競技連盟に加盟、その後、1928年(昭和3)になって日本陸上競技連盟に加盟代表権が移される。
- 1925大正14年
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3月に日本陸上競技連盟が創立される。(当初、「全日本陸上競技連盟」と称した)
- 1928昭和3年
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第9回アムステルダムオリンピック大会開催。日本からは男子16名、女子1名が参加。三段跳で織田幹雄選手が15m21を跳んで日本選手初の金メダルを獲得。また、女子800mで人見絹枝選手が銀メダルを獲得した。
織田幹雄 - 1932昭和7年
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第10回ロサンゼルスオリンピック大会開催。三段跳で南部忠平選手が15m72の世界新記録で優勝、前回大会の織田選手に続いて金メダルを獲得した。また、棒高跳で西田修平選手が銀メダルを獲得した。
南部忠平 - 1936昭和11年
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第11回ベルリンオリンピック大会開催。三段跳で田島直人選手が16m00の世界新記録で優勝し、この種目、日本人選手が三連覇を飾った。また原田正夫選手が第2位、大島鎌吉選手が第6位に入り、三段跳は日本の「お家芸」と言われた。この大会、棒高跳でも西田修平選手が2位、大江季雄選手が3位となり、2人が銀・銅のメダルを分け合った話は美談としてその後も語り継がれている。 7月のIOC総会で第12回オリンピック大会の開催地を東京に決定。
田島直人ベルリンオリンピックで健闘した村杜講平 - 1940昭和15年
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予定されていた東京オリンピック大会は戦争のため中止となる。
写真提供:フォート・キシモト