1204年
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千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 12世紀 - 13世紀 - 14世紀 |
十年紀: | 1180年代 1190年代 1200年代 1210年代 1220年代 |
年: | 1201年 1202年 1203年 1204年 1205年 1206年 1207年 |
1204年(1204 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]- 2月21日、藤原定家の『明月記』によると京都でオーロラと推測される「赤気(せっき)」が目撃されている[1][2][3]。
- 4月12日 - 第4回十字軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを陥落させ、東ローマ帝国はいったん滅亡。皇族たちがニカイア帝国など各地に亡命政権を樹立する。
- 源頼家が修禅寺で殺される。
誕生
[編集]→「Category:1204年生」も参照
- 6月4日(元久元年5月5日) - 笠間時朝、鎌倉時代の武将(+ 1265年)
- アンナ・プシェミシリトカ、シロンスク=ヴロツワフ公ヘンリク2世の妃(+ 1265年)
- エンリケ1世、カスティーリャ王(+ 1217年)
- 道覚法親王、鎌倉時代の皇族、天台宗の僧(+ 1250年)
- ハインリヒ・ラスペ、テューリンゲン方伯(+ 1247年)
- ホーコン4世、ノルウェー王(+ 1263年)
- 武藤景頼、鎌倉時代の武将(+ 1267年)
死去
[編集]→「Category:1204年没」も参照
- 1月1日 - ホーコン3世、ノルウェー王(* 1180年)
- 1月28日 - イサキオス2世アンゲロス、東ローマ帝国アンゲロス王朝の初代皇帝(* 1156年)
- 2月8日 - アレクシオス4世アンゲロス、東ローマ帝国アンゲロス王朝の第3代皇帝(* 1182年)
- 4月1日 - アリエノール・ダキテーヌ、イングランド王ヘンリー2世の王妃(* 1124年)
- 8月14日(元久元年7月18日) - 源頼家、鎌倉幕府第2代将軍(* 1182年)
- 9月1日(元久元年8月6日) - 宇都宮朝綱、平安時代、鎌倉時代の武将(* 1122年)
- 11月27日(元久元年11月5日) - 北条政範、鎌倉時代の武将(* 1189年)
- 11月30日 - イムレ、ハンガリー王国アールパード朝の国王(* 1174年)
- 12月13日 - モーシェ・ベン=マイモーン、コルドバ出身のユダヤ教徒のラビ、哲学者、博学者(* 1135年)
- 12月29日(元久元年11月30日) - 藤原俊成、平安時代、鎌倉時代の公卿、歌人(* 1114年)
- アルペトラギウス、モロッコ出身の天文学者、哲学者(* 生年未詳)
- アレクシオス5世ドゥーカス、東ローマ帝国アンゲロス王朝の第4代皇帝(* 生年未詳)
- イルカ・セングン、ケレイト王国の王子(* 生年未詳)
- 神宗、第20代高麗王(* 1144年)
- タヤン・ハン、ナイマン部の汗(* 生年未詳)
- 段智廉、大理国の第19代国王(* 生年未詳)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 中沢, 陽「日本における低緯度オーロラの記録について」『天文月報』第92巻第2号、日本天文学会、1999年2月、94-101頁、NAID 10002142945、2012年10月5日閲覧。
- 上出, 洋介『オーロラの科学 — 人はなぜオーロラにひかれるのか』誠文堂新光社、2010年10月。ISBN 978-4416210253。