黒川原駅
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黒川原駅 | |
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くろかわばら KUROKAWABARA | |
◄加治 (1.4 km) | |
所在地 | 愛知県渥美郡田原町大字大久保 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 渥美線 |
キロ程 | 20.8 km(新豊橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 3面3線 |
開業年月日 | 1926年(大正15年)4月10日 |
廃止年月日 | 1954年(昭和29年)11月20日* |
備考 | *1944年(昭和19年)6月5日から休止 |
黒川原駅(くろかわばらえき)は、かつて愛知県渥美郡田原町(現・田原市)にあった名古屋鉄道渥美線の駅である[注釈 1]。渥美線の終点であった。
かつてはさらに先の伊良湖岬方面へ延長計画があり、鉄道省による当駅 - 三河福江(現・田原市福江町)間の路盤工事まで完成していたが、太平洋戦争により工事は中止し、未成線となっている。計画ではさらに先の堀切(現・田原市堀切町)までの延長が予定されており、測量が行われていた。
歴史
[編集]- 1926年(大正15年)4月10日:三河田原 - 当駅間開業に伴い、渥美電鉄の駅として開設[1]。
- 1937年(昭和12年)10月9日:豊橋市渥美郡田原町 - 同郡福江町間鉄道起業廃止[2]。
- 1940年(昭和15年)9月1日:名古屋鉄道との合併により同社渥美線の駅となる。
- 1943年(昭和18年):鉄道による糞尿輸送のため貯溜槽を建造[3]。
- 1944年(昭和19年)6月5日:他線区へのレール転用のため三河田原 - 当駅間が営業休止。休止期間は5年間[3][注釈 2]。
- 1954年(昭和29年)11月20日:渥美線三河田原 - 当駅間廃線により正式に廃止。
駅構造
[編集]片開きポイント式の2面2線千鳥式ホーム(本線と上り1番線)と、本線から片開きポイントで分岐した2面1線の貨物ホーム(コの字型の頭端式ホーム)を持つ、計3面3線の地上駅であった[5]。旅客ホームには車止めがなく、駅西側の「陸橋」と呼ばれた築堤を潜ってしばらく先までは三河福江方面への線路が敷かれていた[5]。
本線側のコの字ホームは駅前通りとの段差がなく、そのホーム上には駅舎、便所、貨物上屋があり、貨物ホームの先に糞尿貯溜槽があった[5]。上り1番線側の片面ホームとは構内踏切で結ばれ、その先には待合室が設けられていた[5][注釈 3]。
その他
[編集]駅跡は現在の田原市大久保町。国道259号(田原街道)と愛知県道28号田原高松線との交差点(大久保南交差点)の西、約100 m付近と推測される。道路整備もあり、駅の痕跡はない。
隣の駅
[編集]- 名古屋鉄道
- 渥美線
- 加治駅 - 黒川原駅
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 新豊橋 - 三河田原間が豊橋鉄道へ譲渡されたのは1954年(昭和29年)10月1日であるが、三河田原 - 当駅間については廃止まで名鉄が継続保有していたため、当駅も廃止まで名古屋鉄道の駅であった。
- ^ 名鉄の戦時中における設備転用は転用元・転用先について諸説あり(名鉄西尾線#歴史、名鉄豊川線#歴史も参照)、渥美線末端区間についても「渥美線高師駅と常滑線大江駅の施設拡張に使用した[3]」説と「豊川市内線国府駅 - 市役所前駅間の建設に使用した[4]」説がある。
- ^ 貨物ホームが別にあるにもかかわらず、上り1番ホームの西側、構内踏切から本線合流部の間付近に貨物列車を配置して、そこから直接詰み込むこともあったという[5]。
出典
[編集]- ^ 今尾恵介監修 2008, p. 39.
- ^ 『鉄道統計. 昭和12年度 第3編 監督』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ^ a b c 田原市博物館 2014, p. 20
- ^ 加藤安信 編『写真アルバム 岡崎・西尾の昭和』樹林舎、2011年、96頁。ISBN 978-4902731439。
- ^ a b c d e 田原市博物館 2014, p. 18
参考文献
[編集]- 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 7号 東海』新潮社、2008年11月18日。
- 加藤安信 編『写真アルバム 岡崎・西尾の昭和』樹林舎、2011年。ISBN 978-4902731439。
- 田原市博物館 編『渥美線 : 渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語 : 三河田原駅開業90周年企画展』田原市博物館、2014年12月。 NCID BB17669790。全国書誌番号:22516346。