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阿部徳三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿部徳三郎

阿部 徳三郎(あべ とくさぶろう、慶応3年9月22日[1]1867年10月19日) - 1918年大正7年)5月14日[2])は、日本衆議院議員立憲政友会)、弁護士

経歴

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陸奥国磐井郡弥栄村(現在の岩手県一関市)出身。明治法律学校(現在の明治大学)を卒業。1890年明治23年)、弁護士試験に合格し、一関に法律事務所を構え、後に盛岡弁護士会常務員に選ばれた[3]

1898年(明治31年)、一関町会議員に選ばれた[3]1903年(明治36年)、第8回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた。

その他、破産管財人、第八十八銀行法律顧問、一関葉煙草仲買株式会社監査役、東北印刷株式会社取締役などを務めた[1]

親族

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脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録』
  2. ^ 『官報』第1734号、大正7年5月16日
  3. ^ a b 『第二十八議会衆議院議員写真列伝』p.105

参考文献

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  • 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。