藤原克忠
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藤原 克忠(ふじわら の かつただ、延喜17年(917年)?[1] - 天徳2年7月19日(958年8月6日))は、平安時代中期の貴族。藤原南家、大納言・藤原元方の子。官位は従五位上・左少弁。
経歴
[編集]左衛門権佐を経て、天暦5年(951年)右少弁に任ぜられる。村上朝の前半に権右少弁・左少弁と弁官を務める一方で五位蔵人を兼ねて、天皇の身近に仕えた。また、時期は不明ながら弾正少弼を務め、位階は従五位上に至る。
官歴
[編集]- 時期不詳:従五位下
- 天暦4年(950年) 9月13日:見左衛門権佐[2]
- 天暦5年(951年) 5月22日:権右少弁[3]
- 天暦8年(954年) 日付不詳:見左少弁[4]
- 時期不詳:従五位上
- 天暦9年(955年) 9月13日:五位蔵人[5]
- 天暦11年(957年) 3月:見左少弁[6]
- 天徳2年(958年) 7月19日:卒去[4]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。