糀谷博和
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糀谷博和 |
全日空グランプリ(1994年)[4]
獲得メダル |
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糀谷 博和(こうじたに ひろかず、1971年8月6日 - )は、日本の元卓球選手、社会保険労務士[5]。大阪府大阪市平野区出身。糀谷社会保険労務士事務所の代表、株式会社陽転の代表取締役。
略歴
[編集]幼少期
[編集]右手4指欠損という、生まれつき右手が親指しかない状態で、1971年8月6日、大阪市平野区にて生まれる。父親が筋ジストロフィーでもあり家計を支えていたのは母親である。小学校4年生の時に片手でもできる卓球に出会い、長居障碍者スポーツセンターで卓球を始める[6]。
学生時代
[編集]長居障碍者スポーツセンターで出会った方の縁で、当時、大阪でも強豪校になりつつあった上宮高等学校の総監督(田中拓氏)と出会い上宮高校に進学する。第44回国民体育大会(青年の部)で優勝。インターハイ男子シングルスで準優勝。上宮高等学校を卒業後、早稲田大学に進学、全日本卓球選手権大会(天皇杯)シングルスにおいて準優勝の成績を収める。
実業団選手時代
[編集]卒業後は、びわこ銀行で実業団選手として活躍し、第53回国民体育大会優勝、全日本卓球選手権大会男子ダブルスで準優勝。29歳で現役引退。
引退後
[編集]社会保険労務士資格を取得。糀谷社会保険労務士事務所を開業し所長となる。滋賀県内の顧客を中心に労務コンサルティングを提供している。
公職・経歴
[編集]- 滋賀県社会福祉協議会経営指導員
- 滋賀県産業支援プラザ派遣専門家
- 働き方改革推進支援センター相談員
- 滋賀文化短期大学非常勤講師
- 一般社団法人滋賀県トラック協会労務顧問(2018年 - 2023年)
主な戦績
[編集]- 1989年 国民体育大会 少年の部 優勝
- 1989年 インターハイ 男子シングルス 準優勝
- 1993年 全日本卓球選手権大会(天皇杯)男子シングルス 準優勝
- 1998年 国民体育大会 青年の部 優勝
- 1998年 全日本卓球選手権大会(天皇杯)男子ダブルス 準優勝
参考文献
[編集]- 社長、サービス残業代請求問題はこう解決しましょう!―訴訟のリスクを回避し、会社を良くする処方箋(東洋経済新報社、2015)
- 未払い残業代問題解決の実務: 訴えられないための 元監督官による実践的なコメントつき(日本法令、2010)
- 社会福祉法人の人事労務管理改革完全マニュアル(日本法令、2004)
- 「介護事業所のための人事労務Q&A」シルバー新報
- 「業種別 アプローチの仕方&仕事の進め方 製造業」ビジネスガイド(2008.3)
- 「未払い残業代に関するトラブル」別冊ビジネスガイド(2013.3)
脚注
[編集]- ^ 卓球部の歴史 1990年
- ^ 全日空杯第2回ジャパンオープン p.279
- ^ 全日空杯第3回ジャパンオープン p.279
- ^ 全日空グランプリ’94 p.282
- ^ 滋賀県社会保険労務士会 湖南支部
- ^ 「セカンドキャリア。選手たちのその後」卓球王国 2024.1月号 p71(2024.1)