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玉利喜造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉利喜造

玉利 喜造(たまり きぞう、1856年5月28日安政3年4月25日[1]) - 1931年昭和6年)4月21日[2])は、日本農学者貴族院勅選議員

経歴

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鹿児島県出身。1880年明治13年)、駒場農学校を卒業。農務局編輯に従事し、さらに駒場農学校助教授に任命された[1]1885年(明治18年)よりアメリカ合衆国に留学し、ミシガン州立農学校、イリノイ州立大学で学んだ[3]1887年(明治20年)に帰国してからは、東京農林学校教授、帝国大学農科大学助教授、同教授を歴任した[1]1899年(明治32年)、農学博士の学位を得た[1]1903年(明治36年)、盛岡高等農林学校校長に就任し、1909年(明治42年)に鹿児島高等農林学校校長に転じた[1]1922年大正11年)2月2日に貴族院議員に勅選され[4]、鹿児島高等農林学校名誉教授の称号を得た[3]

その他、大日本農会幹事・参事・常設議員、帝国農会特別議員・顧問などを歴任した[3]。1931年4月、貴族院議員在任中に死去した[5]

栄典

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著書

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  • 『農家速算』有隣堂、1883年。
  • 『養蜂改良説』有隣堂、1889年。
  • 『実用倫理』弘道館、1909年。
  • 『内観的研究 邪気・新病理説』実業之日本社、1912年。
  • 『内観的人類進化説』育英書院、1914年。

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 人事興信録 1918.
  2. ^ 『官報』第1293号、昭和6年4月24日
  3. ^ a b c 故玉利喜造叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113088000 
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、30頁。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  6. ^ 『官報』第2305号「叙任及辞令」1920年4月12日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 故玉利喜造叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113088000 
  • 『玉利喜造先生伝』玉利喜造先生伝記編纂事業会編、昭和49年、(鹿児島大学農学部内)


その他の役職
先代
前田正名
農事会本部幹事長
全国農事会幹事長
1900年 - 1902年
農事会本部幹事長
1899年 - 1900年
次代
加納久宜