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水口清郁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
水口清郁
時代 江戸時代後期
生誕 安永6年12月18日1778年1月16日
死没 天保12年4月14日1841年6月3日
官位 従五位下、左府生、東宮帯刀、左将曹、院近衛代、左近将監
主君 後桃園天皇光格天皇仁孝天皇
氏族 身人部氏水口氏
父母 父:大石信敬
義父:水口武清
兄弟 清郁大石信辰大石信守
清生田中盛纓
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水口 清郁(みなくち きよくに)は、江戸時代後期の地下官人[1]

概要

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父の院蔵人所衆・大石信敬は雅楽助・身人部茂清の子で、藤原信任・右将監藤原信友女夫妻の養子となって大石氏を継承している。

文化元年(1804年)5月3日には28歳で従六位下・左府生に叙任された。同5年4月1日には東宮帯刀に補任され、同9年(1812年)3月14日には従六位上・左将曹に叙任された。

文政2年(1820年)12月18日には正六位下に叙され、文政7年(1824年)7月16日には院近衛代に任じられ、翌年の7月19日には左近将監に転じ、7月20日には再び院近衛代へと還補している。文政9年(1826年)12月19日には正六位上に、天保5年(1834年)4月16日には従五位下に叙され、天保12年(1841年)4月14日に64歳で死去した[2]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 三上景文『地下家伝 第14-20日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)
  2. ^ 三上景文『地下家伝 第14-20日本古典全集 ; 第6期)[2]』(日本古典全集刊行会、1937年)