[go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

木山隆之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木山 隆之
名前
愛称 きーやん
カタカナ キヤマ タカシ
ラテン文字 KIYAMA Takashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1972-02-18) 1972年2月18日(52歳)
出身地 兵庫県伊丹市
身長 180cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1987-1989 日本の旗 伊丹西高校
1990-1993 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1997 日本の旗 ガンバ大阪 50 (1)
1998 日本の旗 コンサドーレ札幌 16 (0)
1999-2002 日本の旗 水戸ホーリーホック 99 (1)
通算 165 (2)
監督歴
2003-2004 日本の旗 筑波大学
2005-2007 日本の旗 ヴィッセル神戸ユース
2008-2010 日本の旗 水戸ホーリーホック
2012 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉
2015-2016 日本の旗 愛媛FC
2017-2019 日本の旗 モンテディオ山形
2020 日本の旗 ベガルタ仙台
2022- 日本の旗 ファジアーノ岡山FC
1. 国内リーグ戦に限る。2019年12月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

木山 隆之(きやま たかし、1972年2月18日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。選手時代のポジションディフェンダー(DF)

来歴

[編集]

兵庫県立伊丹西高校筑波大学では、いずれも主将を務めた。伊丹西は先代が全国経験があり県立にしては強豪校の一角で彼自身は全国大会には出れなかったが個人の評価は高くユース世代の代表には選ばれている(その評価で筑波大学推薦を勝ち取る)。因みに小中学校時代は共に伊丹市の「笹原」だが当時はMFでゲームメーカーだった。運と共に本人の実力もあり筑波大学在籍中にJリーグが開幕し大卒でプロの道に進む。1994年、大学の同期でセンターバックでコンビを組んだ辛島啓珠とともにガンバ大阪に入団。1年目から27試合に出場するが、その後は2度の怪我もあり出番が減少した。1998年コンサドーレ札幌に移籍するがシーズン終了後に戦力外通告を受け、一時引退するものの、1999年シーズン途中に水戸ホーリーホックで現役復帰すると、守備陣の経験豊富なまとめ役として2002年までプレーした。

引退後は母校である筑波大学蹴球部の監督を経て、2005年からヴィッセル神戸ユースの監督に就任。2005年のJユースカップで神戸ユースを準優勝に導いた。

2008年からは古巣であるJ2・水戸の監督に就任。ちなみに、Jリーグ史上初の1970年代生まれの監督であり、併せてJリーグ史上最も若い監督となった。監督デビューとなった2008年3月9日のJ2第1節、対セレッソ大阪戦(笠松運動公園陸上競技場)で審判の判定に激高し退席処分を受けた。就任2年目の2009年には荒田智之高崎寛之などを擁し、チーム創設以来初の勝ち越しを決める。2010年、契約満了により退任。2011年清水エスパルスのヘッドコーチを務めた。

2012年のシーズンより、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任した。シーズンは5位に終わり自動昇格を逃し、この年より導入されたJ1昇格プレーオフでも、決勝まで進出したものの大分トリニータに惜敗し4年ぶりのJ1昇格を果たせなかった。この責任を取る形で11月28日に同シーズン限りでの退任が発表された。

2013年シーズンからはヴィッセル神戸のコーチを務める[1]

2014年12月、愛媛FCの監督に就任。シーズンは5位に終わりJ1昇格プレーオフでは、準決勝にセレッソ大阪に惜敗し初の決勝進出はならなかった。2016年シーズンをもって退任[2]

2016年11月29日、モンテディオ山形の監督就任[3]。2019年には6位でJ1参入プレーオフに導くも、2回戦で徳島ヴォルティスに敗戦。シーズン終了後の12月11日、監督退任を発表[4]

2019年12月19日、2020年よりベガルタ仙台監督就任を発表[5]J1リーグ所属のチームを指揮するのはこれが初めてとなる[6]。しかしチームは一時最下位となるなど低迷し、最終順位は17位だった(この年のレギュレーション上、降格無し)。2020年12月18日、仙台の監督を退任[7]

2021年9月28日、古巣ガンバ大阪のコーチに就任が発表された。

2021年12月14日、ファジアーノ岡山FCの監督に就任した[8]

所属クラブ

[編集]
ユース経歴
プロ経歴

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1994 G大阪 - J 27 1 3 0 4 0 34 1
1995 1 0 - 0 0 1 0
1996 12 0 0 0 2 0 14 0
1997 17 10 0 5 0 0 0 15 0
1998 札幌 5 16 0 1 0 1 0 18 0
1999 水戸 22 JFL 15 0 - 3 0 18 0
2000 J2 26 0 0 0 3 0 29 0
2001 27 0 0 0 3 0 30 0
2002 31 1 - 3 0 34 1
通算 日本 J1 66 1 9 0 7 0 82 1
日本 J2 84 1 0 0 9 0 93 1
日本 JFL 15 0 - 3 0 18 0
総通算 165 2 9 0 19 0 193 2

タイトル

[編集]

選手時代

[編集]

クラブ

[編集]
筑波大学

監督時代

[編集]

個人

[編集]
  • J2リーグ月間優秀監督賞:3回(2022年6月、2022年8月、2024年2・3月)

指導歴

[編集]

監督成績

[編集]
年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 Jリーグカップ 天皇杯
2008 J2 水戸 11位 47 42 13 8 21 - 4回戦
2009 8位 73 51 21 10 20 2回戦
2010 16位 38 36 8 14 14 3回戦
2012 千葉 5位 72 42 21 9 12 ベスト8
2015 愛媛 5位 65 42 19 8 15 3回戦
2016 10位 56 42 12 20 9
2017 山形 11位 59 42 14 17 11
2018 12位 56 42 14 14 14 ベスト4
2019 6位 70 42 20 10 12 2回戦
2020 J1 仙台 17位 28 34 6 10 18 グループステージ -
2022 J2 岡山 3位 72 42 20 12 10 - 2回戦
2023 10位 58 42 13 19 10 - 3回戦
J1通算 - - 34 6 10 18 - -
J2通算 - - 465 175 141 148 - -

脚注

[編集]
  1. ^ 木山隆之氏ヴィッセル神戸 トップチームコーチ就任のお知らせ”. ヴィッセル神戸 (2012年12月27日). 2012年12月27日閲覧。
  2. ^ “J2愛媛、木山監督が退任 昨季PO出場も…今季は最多引き分け更新”. スポニチアネックス. (2016年11月18日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/18/kiji/K20161118013746180.html 2016年11月18日閲覧。 
  3. ^ “木山隆之氏 モンテディオ山形 監督就任のお知らせ”. モンテディオ山形ホームページ. (2016年11月29日). http://www.montedioyamagata.jp/news/y-2016/n-00006408/ 2016年11月29日閲覧。 
  4. ^ 木山隆之監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)モンテディオ山形、2019年12月11日https://www.montedioyamagata.jp/news/g-1/y-2019/m-12/n-00010268/2019年12月17日閲覧 
  5. ^ 木山隆之氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2019年12月19日https://www.vegalta.co.jp/news-team/2019/12/post-1143.html2019年12月19日閲覧 
  6. ^ “甘党だけど、指導は辛口!木山ベガルタ開幕戦へ”. 河北日報. (2020年2月21日). https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202002/20200221_14025.html 2020年2月21日閲覧。 
  7. ^ 木山隆之監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ベガルタ仙台、2020年12月18日https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2020/news-team/2020/12/post-883.html2022年12月14日閲覧 
  8. ^ 木山隆之監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)ファジアーノ岡山FC、2022年12月14日https://www.fagiano-okayama.com/news/p1473057142.html2022年12月14日閲覧 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]