[go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

小川達明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小川 達明
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県広島市南区
生年月日 (1958-12-27) 1958年12月27日(65歳)
身長
体重
185 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1976年 ドラフト5位
初出場 1982年6月26日
最終出場 1990年7月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小川 達明(おがわ たつあき、1958年12月27日 - )は、広島県広島市南区宇品[1]出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

愛称は「タツ」「タツアキ」。

来歴・人物

[編集]

崇徳高等学校では1976年の3年生時、三番中堅手として春夏の甲子園に連続出場。チームメートに黒田真二應武篤良山崎隆造らがいた。春の選抜は決勝で小山高を降し、全国制覇を成し遂げる。夏の甲子園は3回戦で長崎海星高に敗退。同年、山崎と共にドラフト5位で広島入団[1]

強肩好打の外野手と期待されるが、二軍暮らしが長かった。

1983年には一軍に定着、5試合に中堅手、右翼手として先発出場を果たす。現役晩年の山本浩二専用の守備固めとして多く起用され、また思い切りの良い打撃で右の代打としても活躍する。

1985年には8試合に三番打者として起用されている。

1987年から出場機会が減少。

1989年には復活するが、同年11月に金銭トレードでダイエーに移籍。

1990年限りで現役引退[1]

1984年阪急との日本シリーズでは6試合、1986年西武との日本シリーズでも6試合に出場したが、代走や守備固めが多く、シリーズ通算6打数無安打1四球に終わった。

引退後は地元広島で会社員を務める傍ら、マスターズリーグ福岡ドンタクズの選手として参加。実家は2005年まで広島港桟橋前で食堂を営業していた。

現在は自らが塾長を務める「ドラワン塾」でアマチュア指導を行っている。

達川光男が中日ドラゴンズのコーチに就任した2014年は、『第44回TSS杯 広島県少年野球学童選手権大会』(テレビ新広島)の録画中継に解説者として出演した。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1982 広島 7 4 4 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
1983 66 57 46 11 12 4 0 4 28 12 3 1 2 0 8 0 1 9 0 .261 .382 .609 .991
1984 90 92 76 12 19 2 2 4 37 14 1 2 1 2 11 0 2 9 0 .250 .360 .487 .846
1985 101 94 79 14 19 2 1 2 29 15 3 1 0 1 14 1 0 12 1 .241 .351 .367 .718
1986 105 75 65 14 21 6 1 2 35 12 0 0 2 1 7 0 0 15 1 .323 .384 .538 .922
1987 37 61 53 2 14 2 0 1 19 10 2 0 1 1 5 1 1 9 2 .264 .333 .358 .692
1988 62 49 43 2 7 1 0 1 11 5 0 0 2 0 4 0 0 11 2 .163 .234 .256 .490
1989 71 91 75 9 19 1 0 1 23 10 0 0 3 1 11 0 1 12 4 .253 .352 .307 .659
1990 ダイエー 9 8 8 2 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
通算:9年 548 531 449 68 113 18 4 15 184 79 9 4 11 6 60 2 5 78 10 .252 .342 .410 .752

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 30(1977年 - 1985年)
  • 7(1986年 -1988年)
  • 10(1989年)
  • 45(1990年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、122ページ

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]