伊達村通
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 享保12年(1727年[1]) |
死没 | 天明3年11月15日(1783年12月8日) |
別名 | 大力、弾正、内蔵 |
墓所 | 松窓寺(宮城県大崎市) |
主君 | 伊達吉村→重村 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達村緝、母:石川村弘の娘 |
兄弟 | 村通、石川村俊室 |
妻 | 前室:亘理定根の娘、後室:市(白河村広の娘)[1] |
子 | 子:村則、伊達村良室、石川村文室 |
伊達 村通(だて むらみち)は、仙台藩一門第八席・岩出山伊達氏第6代当主。
生涯
[編集]享保12年(1727年)岩出山伊達氏第5代当主・伊達村緝の嫡男として生まれる。幼名は大力。
元文元年(1736年)2月、父の死去により家督相続する。5月、藩主伊達吉村に御目見する。11月、藩主吉村の加冠で元服し、偏諱を受けて弾正村通と名乗る。
人物
[編集]宝蔵院流槍術を家臣安積裕像に、三冨流刀術を家臣氏家知平に学び、伝を極めた。[3]
参考文献
[編集]- 『伊達世臣家譜』
- 『岩出山町史』
- 『仙台人名大辞書』
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