ヴァルドワ
Valdoie | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏 |
県 (département) | テリトワール=ド=ベルフォール県 |
郡 (arrondissement) | ベルフォール郡 |
小郡 (canton) | ヴァルドワ小郡 |
INSEEコード | 90099 |
郵便番号 | 90300 |
市長(任期) |
ミシェル・ズムケレール (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération Belfortaine |
人口動態 | |
人口 |
5313人 (2012年) |
人口密度 | 1140人/km2 |
住民の呼称 | Valdoyens |
地理 | |
座標 | 北緯47度40分02秒 東経6度50分33秒 / 北緯47.6672度 東経6.8425度座標: 北緯47度40分02秒 東経6度50分33秒 / 北緯47.6672度 東経6.8425度 |
標高 |
平均:m 最低:360m 最高:429m |
面積 | 4.66km2 |
公式サイト | ville-de-valdoie.fr |
ヴァルドワ (Valdoie)は、フランス、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏、テリトワール=ド=ベルフォール県のコミューン。
地理
[編集]県都ベルフォールの北部郊外にあり、ジロマニーやバヨン・ダルザス峰へ向かうルートの途中にある。町は、ヴァルドワで流れが終わるロズモントワーズ川と、サヴルーズ川とが合流する地点である。
準ヴォージュ山脈であるステファニアン炭田は、ヴァルドワの面積やブアン・レ・リュール、ロンシャン、西のロモン、東のルジュモン、ロマニーといったコミューンをカバーしている。
由来
[編集]Wedo(1350年)、Vaydhoye(1617年)、Vaidoye/Vaidhoye/Vaidhoy/Vauldoye/Vaudoye(1621年-1655年)、Valdoye(1793年)と移り変わった。
歴史
[編集]ヴァルドワ(Val d'Oye, Wedaw, Waido, Vaydoieなど)の名は、J・リブリンによれば、ラテン語のvadum(浅瀬、渡河場所)とケルト語のoye(水、川)で、サヴルーズ川のことだという。この浅瀬は、マンドゥールとオクセル=バへ向かう第二のローマ街道が川に達すると、少なくとも水位が低くなったときに川を渡る場所だった。ヴァルドワの名は1350年まで記述されない。村はその発祥からロズモン領主の土地の一部であり、フェレット伯領と同様に1347年から三十年戦争が終わる1648年までオーストリアのものだった。1674年12月後半、テュレンヌ元帥はアルザスにおけるテュルクアイムの勝利の前、ヴァルドワで野営している。
町は1778年までベルフォールの教区に併合されていた。ベルフォールに数年間依存した後、1780年にヴァルドワは独立した教区となった。18世紀終わりにはクラヴァンシュ、サルベールの教区が併合されている。
20世紀初頭、サン・ジョゼフ教会は最初の教会が1780年に建てられた同じ場所に再度建てられた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2012年 |
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3986 | 3983 | 4466 | 4572 | 4314 | 4843 | 5000 | 5313 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[1]、2004年以降INSEE[2][3]