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ヴァルドワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Valdoie

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏
(département) テリトワール=ド=ベルフォール県
(arrondissement) ベルフォール郡
小郡 (canton) ヴァルドワ小郡
INSEEコード 90099
郵便番号 90300
市長任期 ミシェル・ズムケレール
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération Belfortaine
人口動態
人口 5313人
2012年
人口密度 1140人/km2
住民の呼称 Valdoyens
地理
座標 北緯47度40分02秒 東経6度50分33秒 / 北緯47.6672度 東経6.8425度 / 47.6672; 6.8425座標: 北緯47度40分02秒 東経6度50分33秒 / 北緯47.6672度 東経6.8425度 / 47.6672; 6.8425
標高 平均:m
最低:360m
最高:429m
面積 4.66km2
Valdoieの位置(フランス内)
Valdoie
Valdoie
公式サイト ville-de-valdoie.fr
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ヴァルドワValdoie)は、フランスブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏テリトワール=ド=ベルフォール県コミューン

地理

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県都ベルフォールの北部郊外にあり、ジロマニーやバヨン・ダルザス峰へ向かうルートの途中にある。町は、ヴァルドワで流れが終わるロズモントワーズ川と、サヴルーズ川とが合流する地点である。

準ヴォージュ山脈であるステファニアン炭田は、ヴァルドワの面積やブアン・レ・リュール、ロンシャン、西のロモン、東のルジュモン、ロマニーといったコミューンをカバーしている。

由来

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Wedo(1350年)、Vaydhoye(1617年)、Vaidoye/Vaidhoye/Vaidhoy/Vauldoye/Vaudoye(1621年-1655年)、Valdoye(1793年)と移り変わった。

歴史

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ヴァルドワ(Val d'Oye, Wedaw, Waido, Vaydoieなど)の名は、J・リブリンによれば、ラテン語のvadum(浅瀬、渡河場所)とケルト語のoye(水、川)で、サヴルーズ川のことだという。この浅瀬は、マンドゥールとオクセル=バへ向かう第二のローマ街道が川に達すると、少なくとも水位が低くなったときに川を渡る場所だった。ヴァルドワの名は1350年まで記述されない。村はその発祥からロズモン領主の土地の一部であり、フェレット伯領と同様に1347年から三十年戦争が終わる1648年までオーストリアのものだった。1674年12月後半、テュレンヌ元帥はアルザスにおけるテュルクアイムの勝利の前、ヴァルドワで野営している。

町は1778年までベルフォールの教区に併合されていた。ベルフォールに数年間依存した後、1780年にヴァルドワは独立した教区となった。18世紀終わりにはクラヴァンシュ、サルベールの教区が併合されている。

20世紀初頭、サン・ジョゼフ教会は最初の教会が1780年に建てられた同じ場所に再度建てられた。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
3986 3983 4466 4572 4314 4843 5000 5313

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[1]、2004年以降INSEE[2][3]

脚注

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