ロムニー・セジウィック
リチャード・ロムニー・セジウィック(英語: Richard Romney Sedgwick、1894年5月29日 – 1972年1月20日[1][2])は、イギリスの歴史学者、公務員、外交官[1]。
生涯
[編集]アダム・セジウィック教授(Adam Sedgwick、1854年 – 1913年)とローラ・ヘレン・エリザベス・ロビンソン(Laura Helen Elizabeth Robinson)の長男として生まれ[1][3]、ウェストミンスター・スクールとケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで教育を受け、1919年にトリニティ・カレッジのフェロー(研究員)に就任した[1]。1936年、トマス・カラン・ホドソンの娘マナ・セント・デイヴィッド・ホドソン(Mana St David Hodson、2008年没)と結婚[1]、1男1女をもうけた[4]。外交官としては1938年にオーストラリアへ、1941年にニュージーランドへ、1946年に南アフリカ共和国へ転勤、1949年に帰国してロンドンのハムステッドに住んだ[4]。1954年、政務次官補(Assistant Under Secretary of State)を退職して引退した[4]。
1972年に死去した[4]。
評価
[編集]セジウィックが著作、編集に関わった『イギリス議会史』はホイッグ党とトーリー党の対立がジョージ1世とジョージ2世の治世を通して残存したことを示した[5]。
イヴリン・クルックシャンクスがトーリー党と1745年ジャコバイト蜂起についての書籍を著したとき、「最も恩義が大きく感じたのは故ロムニー・セジウィックに対してである。彼は筋入りのホイッグ党員で、わたしは彼の理知と博識に感心した。ときには一連の議論で熱くなることもあったが、2人ともそれを楽しんだのはよく知っている」と述べた[6]。
著作
[編集]- ‘The Inner Cabinet from 1739 to 1741’, English Historical Review 34 (1919), pp. 290–302.
- John, Lord Hervey, Some Materials towards Memoirs of the Reign of King George II (editor, 3 volumes, 1931).
- ‘Sir Robert Walpole 1676–1745: The Minister for the House of Commons’, Times Literary Supplement (24 March 1945), pp. 133–134.
- The House of Commons 1715–1754 (editor, 2 volumes, 1970).
脚注
[編集]- ^ a b c d e Who's Who 1948, London : A. & C. Black, 1948, p. 2486.
- ^ The Times (London, England), Monday, Jan 24, 1972; p. 14; Issue 58383.
- ^ Dictionary of National Biography 1912–1921, Oxford : Oxford University Press, 1927, p. 488.
- ^ a b c d Sheppard, Martin (4 April 2008). "Mana Sedgwick: Distinguished public servant" (英語). The Independent.
- ^ J. C. D. Clark, Revolution and Rebellion. State and Society in the Seventeenth and Eighteenth Centuries (Cambridge University Press, 1986), p. 151.
- ^ Eveline Cruickshanks, Political Untouchables; The Tories and the '45 (Duckworth, 1979), p. vi.