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ケディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケディ
プロフィール
別名義 ケディ・ティン
本名:丁愷蒂
(発音)
ディン・カイディ
生年月日 1982年6月8日
現年齢 42歳
出身地 中華人民共和国の旗 中国上海市
公称サイズ(2006年時点)
身長 / 体重 155 cm / kg
スリーサイズ 77 - 56 - 78 cm
活動
デビュー 1999年
他の活動 歌手タレント
その他の記録
上海観光親善大使就任(2000年
モデル: テンプレート - カテゴリ

ケディ・ティン(中国名:丁愷蒂ディン・カイディ/Ding Kaidi1982年6月8日 - )は、中国上海出身。歌手タレントモデル。現在は上海で活動している。

来歴・概要

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日本でのデビュー出演番組は日本テレビ系、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』である。1999年5月26日ブラックビスケッツ新メンバー採用オーディションに合格し、シングル「Bye-Bye」とアルバム『LIFE』で初登場。16歳にして日本デビュー来日千秋ビビアン・スーに続く可愛らしいキャラクターや、ウリナリ芸能人社交ダンス部などで見せた努力家な一面で人気となるが、同番組内での「ブラビのシングル『Bye-Bye』を73万枚売る」という試練を達成できず、南々見と共にブラックビスケッツを脱退。そのため、ブラビ自体も天山・ビビアンのみが取り残され、「2人だけじゃなにもできない」という理由だけで自然終了となってしまった。「ブラックビスケッツ」メンバーとしての活躍は、半年にも満たなかった。

その後、南原とともに、インド映画の『ナトゥ』、『ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説』に出演し、話題となった。

2000年11月3日、上海に戻ることを『ウリナリ!!』内で発表し、一時的に日本での芸能活動を中止。日本語を勉強し、いつか日本に戻ってくることをファンに伝えた。その後また来日し日本語学校に通うものの学校がつぶれてしまったため再度中国へ帰国。その後はOLをしていた。2002年3月、『ウリナリ!!』事実上の最終回である、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!! ウリナリ祭り~7年間の総決算~』で一時的に日本に帰ってきてこのことを報告した。日本語は独学で勉強していたという。

以降、タレントとしてテレビや舞台の活動を行っていた(当時はモンドラナ所属)。

2006年サンミュージックと契約し、同年10月より日本でのタレント活動を再開、バラエティを中心に活動する予定だったが、2007年2月に「一身上の都合により帰国した」とウッチャンナンチャンがラジオで語った。現在、サンミュージックではケディ・ティンのプロフィールは消去されている。

2009年上海外語チャンネルで放送中の小松拓也が司会を務める「音楽物語」[1]に出演[1][2]2010年3月2日からは、東京のファッションを紹介する「东京时尚」に司会者としてレギュラー出演。11月9日の放送をもって番組は一時中断している[3]

2013年、過去の所属先であったモンドラナから社名を変更した極東電視台のアプリ配信番組の『上海得スルTV』、『気になる上海』で久々の日本の番組に出演した。

2015年5月、来日してブラビなどのウリナリで共演していたキャイ〜ン天野ひろゆきと久々に再会し、天野とプライベート家電などの日本での買い物を楽しみ、ウリナリ時代の元スタッフ(日本テレビ放送網社員)達と同窓会をしていたが、すでに結婚し当時1歳になる子供がいることが天野のブログにおいて明かされた[2]。現在は主婦をメインとしており、芸能活動については控えているとのこと(引退していないかについては不明)。

主な出演

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映画

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テレビ

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アプリ

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  • 上海得スルTV(2013年7月 - 、極東電視台
  • 気になる上海(2013年9月 - 、極東電視台)

CD

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DVD

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  • 南々見組名義

写真集

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  • Dear Keddy―ケディファースト写真集 (2000年7月)

関連項目

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脚注

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外部リンク

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