たずね人 (1977年のテレビドラマ)
松本清張シリーズ たずね人 | |
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ジャンル | テレビドラマ |
原作 | 松本清張 |
演出 | 重光亨彦 |
出演者 | 林隆三 |
音楽 | 加古隆 |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
話数 | 全1話 |
制作プロデューサー | 沼野芳脩(NHK) |
放送 | |
放送チャンネル | NHK総合 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1977年11月5日 |
放送時間 | 20:00 - 21:15 |
放送枠 | 土曜ドラマ |
放送分 | 75分 |
回数 | 全1回 |
『たずね人』(たずねびと)は、1977年11月5日の20:00 - 21:15、NHK総合の土曜ドラマ枠で放送されたテレビドラマ。主演は林隆三。松本清張原作。視聴率16.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)[1]。
あらすじ
[編集]フリーのカメラマンの綾村省三は、オランダで知り合った、インドネシア生まれのルキアという女性を連れて3年ぶりに帰国した。ルキアは戦争中に日本軍人と母との間に生まれ、離れ離れになった父を捜すための来日であった。綾村とルキアはテレビのワイドショーに出演し、父の姓が「斉藤」であったこと、母が父から教わった歌が童謡「砂山」であることを語る。
ルキアの父は元官僚の立花英一郎であった。しかし立花は参議院選挙に立候補中であり、スキャンダルを避ける思惑から、身代わりに同姓の斉藤悟がルキアとテレビに出演する。綾村は斉藤が歌詞を間違えて歌ったことに疑念を抱く。
キャスト
[編集]- 綾村省三 - 林隆三
- 立花京子 - 小山明子
- 及川律子 - 島村佳江
- 立花英一郎 - 水島弘
- 及川達男 - 三上真一郎
- 斉藤悟 - 田武謙三
- 斉藤松代 - 宮内順子
- 国崎(プロデューサー) - 穂積隆信
- 大園(財界の大物) - 神田隆
- 久子(女将) - 三條美紀
- ワイドショー司会者 - 安田伸
- 編集長 - 加藤和夫
- 安井部長 - 奥野匡
- 住吉(印刷屋) - 五藤雅博
- 本木刑事 - 市村昌治
- 支配人 - 粱正明
- 笹井 - 小山武宏
- テレビ局員 - 鈴木陽
- テレビ局員 - 飛騨昇
- テレビ局員 - 山岡甲
- アナウンサー - 喜多道枝
- アナウンサー - 清川元夢
- アナウンサー - 桑原たけし
- 患者 - 大月優子
- 掃除婦 - 筧豊子
- ピアニスト - 松浦安希子
- 巡査 - 富永高敬
- フロント - 高橋亨
- 及川拓也 - 中沢勇志
- 解説者 - 宮田光
- 泰子 - 五十嵐五十鈴
- 人材銀行員 - 秋間登
- 選挙運動員 - 宮寺康夫
- 選挙運動員 - 愛川弥寿子
- 渡部猛、松尾文人、上野清子
- 原(秘書) - 戸浦六宏
- 倉田 - 河津清三郎
- ルキア - 鰐淵晴子
- 大物政治家 - 松本清張(クレジット表示なし)
スタッフ
[編集]原作
[編集]本ドラマは松本清張のエッセイ「私のくずかご」[2]の第1節に記された逸話[3]を素材に制作されている。以下は該当箇所の抜粋である。
三年ぐらい前に、私は或る週刊誌に尋ね人の広告を出したことがある。要領は、戦争中東南アジア方面に兵隊として出征したことのある人の所在を求めたのだった。音読みの姓名は分っているが、ここに書くわけにはいかない。これは或る娘から父親さがしを頼まれたのである。1964年の春、私はオランダのハーグに近いスヘフェニンゲンという海岸の町にいた。ここは海水浴場地で、また夏の歓楽地でもある。そこに中華料理屋があって、その二階で日本料理をやっていた。主人はオランダ人で、マダムは中国人である。私が行ったときは日本料理部が店開きして間もなくで、そこには振袖姿の日本娘が四人いた。彼女らのうち三人は東京から来たのだが、もう一人はジャワ生れであった。十八か九ぐらいのきれいな娘だったが、日本語が少しも話せず、みんなに分る言葉といえば英語だけだった。その娘から日本人の父親さがしを頼まれたのだが、父親の職業の見当は大体ついた。
週刊誌の広告にすぐには反響がなかった。しかし、一年くらいして初めて或る人から手紙をもらった。なんでも、大掃除をするとき、その週刊誌を畳の下に敷いたところ、偶然、私の広告の欄が眼についたというのである。その人は、私が捜している相手に心当りがあると云って住所まで教えてくれたが、私は先方に手紙を出す気になれなかった。もちろん、その人は終戦後故郷で奥さんをもらい、現在は地方公務員をしていて子供もあるということである。私の問合せの手紙がその人の家庭を不幸にするかも分らないからだ。オランダの日本娘のほうにはすまないと思いながら、そのままにしておいた。
去年の春、その料理店のオランダ人亭主が日本に遊びにきた。そのとき彼に会って訊くと、ほかの日本娘三人は辛抱しているが、ジャワ生れの娘だけは間もなく店をやめましたと云った。大体、ああした職業には適さなかったと云った。母親のほうは別な男と結婚しているということだった。
その娘は、父親が判れば日本に行きたいと云っていた。店を辞めた彼女はジャワに帰ったともいうし、また別な土地に行ったともいうが、店主のオランダ人は、そのへんの事情を詳しくは私に云わなかった。
すると、一週間くらい前、遠い地方都市から私に電話がかかり、三年前の週刊誌の告知板をはじめて見たが、あなたがさがしている相手はつい近くにいる人だと知らせてくれた。電話の人は、どうして私がその人物を捜しているのかと訊いたが、それは当人でなければ話せないと断り、直接本人から手紙をもらいたいと頼んだ。その手紙はまだもらっていない。
だが、相手の人がたとえオランダにいたジャワ生れの日本娘の父親であっても、私はもうその人には手紙で何も書かないつもりだ。
その広告を出すときは、父娘対面の場面を考えないでもなかったが、今はそれを知らせても双方が不幸になるような気がする。それに、父親捜しを熱心に頼んだあの娘も、ヨーロッパのどこかで夫と幸福に暮していれば、その熱情も冷めているかも分らないのである。 — 「私のくずかご」1節(抜粋)
脚注
[編集]外部リンク
[編集]NHK 土曜ドラマ | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
松本清張シリーズ
依頼人 (1977.10.29) |
松本清張シリーズ
たずね人 (1977.11.5) |
男たちの旅路
(第3部) (1977.11.12-12.3) |