円盛院
江戸時代初期から中期の女性。本多忠刻と千姫の長女。池田光政の正室
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円盛院(えんせいいん、元和4年10月16日(1618年12月2日) - 延宝6年10月7日(1678年11月20日))は、江戸時代初期から中期にかけての女性。本多忠刻と千姫の娘。池田光政の正室。名は勝姫(かつひめ)。
生涯
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- 元和4年10月16日(1618年12月2日)、本多忠刻と千姫の間に誕生。弟に幸千代丸。
- 元和9年(1623年)7月、池田光政の元服を機に外祖父・徳川秀忠の養女となり婚約。
- 寛永5年1月16日(1628年2月20日)、江戸城を出て池田家上屋敷にて輿入れ。
- 寛永9年8月18日(1632年10月1日)、光政と共に備前国に入国した。また水害などで財政的に危機に見舞われ、母・天樹院(千姫)に頼み、黄金5万枚、銀2万枚を光政に寄付した。
- 寛永11年(1634年)、奈阿姫(後の本多忠平室)を出産。奈阿姫は後に茨城県常総市の弘経寺に紺紙金泥浄土三部経を書写し奉納した。
- 寛永13年(1636年)、通姫(後の一条教輔室)を出産。寛永15年(1638年)、池田綱政を出産。また、時期は不明だが、娘2人(後の榊原政房室、中川久恒室)を出産した。
- 延宝6年(1678年)10月7日、夫に先立ち死去。池田家墓所に埋葬された。法名は円盛院明誉光嶽泰崇大姉。
一族
編集登場作品
編集出典
編集- 徳川諸家系譜
- 日本女性人名辞典