原子力政策の問題点をメディアは監視できているか
石井 孝明
経済記者/情報サイト「withENERGY」(ウィズエナジー)を運営
メディア不況が報道の質を直撃
「人がいない。数の面でも質の面でも」。あるメディアの管理職の人が報道現場の現状について嘆いていた。私はかつて通信社の経済記者だった。私は現在50歳を超えたが、かつて親交のあったメディア界の同世代の人や先輩たちは管理職になったり、引退したりする年頃だ。これは、その人たちとの話で共通に出る悩みだ。メディアの構造的な不況のために、人を増やし、人に投資をする余裕がない。経済部は、社会部や政治部に比べ人の配置を後回しにされてしまうという。
ある大手一般新聞の東京本社経済部のエネルギー担当の記者は今では1人。経産省担当は2人。10年前は福島の原発事故もあっていずれも4人だった。「1業界や1官庁を1人で詳細に見るなんて不可能。プレスリリースを要約して記事にすることしかできない」(同紙編集委員)という。
エネルギーや気候変動問題では、かつては専門記者を大手メディアは育てていた。今はそんな余裕はない。福島原発事故の記憶も薄れた。かつてはその事故の影響で、反感に満ちてはいたが原子力やエネルギーをめぐる報道は多かった。今は数も少なく、内容も薄い。これは一般の人々の原子力への関心の低下も影響している。
原電敦賀2号機の審査、メディアは規制委の見解を垂れ流すだけ
メディアはNHKと社団法人共同通信以外は一般企業である。しかし私企業であってもその活動はある程度の公益性を持つ。事実を国民に伝え、国民の活動を情報面で支えることだ。そして権力を監視することが期待される。ところが、それがほとんどできなくなっている。原子力をめぐる政策がおかしくなっているのに、それをメディアは伝えていない。例を2つ示してみよう。
日本原子力発電の敦賀2号機(福井県敦賀市)の敷地内断層をめぐり、原子力規制委員会による審査が続く。その状況を私はIEEIへの寄稿「敦賀2号機、原子力規制委の適切な審査を期待」(7月19日)で紹介した。
規制委の活動は、上手な行政活動と私は思えない。それどころか、権力の濫用ともいえる問題行為をしている。ところが新聞は規制委の主張を無批判に伝えるだけだ。
「敦賀原発2号機に初の「再稼働不適合」の可能性 「原子炉直下に活断層」原電が否定できず」(東京新聞 2024年6月29日)、「11年に及ぶ議論決着へ 規制委調査団 原電主張に疑問の声も」(毎日新聞 同27日)と、この原子力発電所が危険であるように各新聞は伝える。
それは誤りだ。断層が活動するか、誰も断言できない。そもそも活断層があるかどうか分からない。規制委の見解をメディアは垂れ流しているだけだ。
原子力規制、権力監視をするメディアはわずか
原子力規制委は、12〜13万年前以降に活動、つまり地震を起こした断層を「活断層」としている。そして規制基準では活断層の上に、原子力プラントの主要設備が「あってはならない」としている。新規制基準の施行ルールで、活断層から派生した段層も審査の対象にした。規制委は、敦賀2号機の審査では、そうした派生断層が、原子炉の下に繋がっていること、活動することを「否定しきれない」という曖昧な見解を示している。
前述の私の記事で記したように、13万年前とは「ホモサピエンス」種の人類が世界に広がり始めた前の遠い昔だ。古いほど地震があったかの証拠は乏しく、推理の要素が大きくなる。証明などできないのだ。それなのに規制委は曖昧な見解で、事業者に証明を求めている。
審査の問題を指摘する記事は、「多様な意見に耳を傾けよ」と論じた産経新聞の2023年4月11日記事「原電の敦賀2号機 審査打ち切りは許されぬ 規制委は断層問題の本論語れ」など少ない。規制委の審査に多くの問題があるのに、メディアの大半は原電だけに非があるかのような報道をしている。
原子力の活用で安全性の確認は当然だ。しかし、それだけを考えるべきではない。原子力発電は、化石燃料を使わずに二酸化炭素を排出しない発電方法で、気候変動に立ち向かう有効な手段だ。そして巨大な電気を生み出し、電気料金を抑える。経済、安全保障など多様な観点から原子力発電をめぐる問題を考える必要がある。それなのに、敦賀2号機をめぐる問題でメディアはそれらの論点を示して問題を考えない。
日本のメディアは「原発憎し」の風潮が強い。福島原発事故でそれが強まって10年以上が経過した。そして活断層問題は複雑で、「可能性」をめぐる専門家の議論は、素人が聞いていてなかなか理解できない内容だ。敦賀2号機の問題は、そのように報道が大変なためか、メディアはじっくり解説する手間を省き、行政の言う通りに記事を書いている。「権力監視」「第三者の立場による客観的情報の提供」という、メディアに求められる役割を果たしていない。
原子力を忘れた岸田政権のGX政策を擁護
原子力やエネルギーをめぐる報道で、物足りなさを感じる報道はこれだけではない。日本政府のエネルギー政策の柱は、「GX(グリーン・トランスフォーメーション)」とされる。2022年末に岸田文雄首相自らが最初に唱えたときは、「原子力の活用」を柱にした。ところがGX政策の範囲は膨らみ、今年度からGX国債を発行して、経産省が補助金を使って産業をテコ入れすることになった。その数は16業種。原子力の再評価はその中で目立たなくなってしまった。
そうした政府のGXとエネルギー政策の矛盾は当然批判され、検証されるべきであろう。ところがメディアはそれをほとんど行わない。日本経済新聞は、財界の意向を受けGXでの政府の予算拡大政策を大歓迎している。「[社説]GX国債の発行を機にネットゼロ加速を」(24年2月17日)などで、それが示されている。同紙はそのGXの基盤になる安定的な電力供給、そのための原子力の活用を積極的に記事に取り上げない。
この問題でも、メディアは政府の行動を批判的に検証せず、政府の言い分をそのまま垂れ流しているように思える。
メディアは頑張ってほしいが、無理なら…
例を二つ挙げたが、原子力・エネルギー政策をめぐるメディアの報道の物足りなさについて、それ以外にも実例がたくさんある。この分野だけではなく、別の経済問題でも、報道は同じような問題を起こしている。以前のメディアは、もう少し、報道の質の向上に向けて努力をしていたように思える。
前述のメディアの構造的不況が、その手抜き報道の背景にあるのだろう。しかし、それを言い訳にしてこのような報道を続けたら、メディアへの不信、さらなるメディア離れを広げてしまう結果になりそうだ。
メディアが役割を果たさないままなら、私たち一般人はどうすればいいのか。今は誰でもメディアの時代。このIEEIをはじめ、専門家が自ら一般向けに情報を発信している。自分で発信しすることも可能だ。役割を果たさないメディアなら、存続する必要はない。メディアの奮起と、それを適切に使う国民の視線が、今、原子力・エネルギー問題で必要になっている。