小説・昭和の女帝#37Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】航空機調達をめぐる疑獄・L社事件で起訴された前総理の加山鋭達は、2億円の保釈金を払って東京拘置所を出た。その後、総選挙で16万8522票を集め、勢力を盛り返す。「昭和の女帝」真木レイ子は、自民党最大勢力の加山派に弟分の政治家を密偵として送り込み、反転攻勢の機会をうかがっていた。(『小説・昭和の女帝』#37)

「女の復讐心」を甘く見て、墓穴を掘った加山

 L社事件の初公判に臨んだ加山鋭達は、公衆の面前で涙を流した。

 彼は起訴事実を全面否認した後、「仮にも総理大臣在職中の犯罪として起訴されたことは空前絶後の思いがするのであります。総理大臣の地位の何たるかを十二分にわきまえ、職務に誇りを持っていた私にとって、本件の起訴は痛恨の極みであり、無念至極です。架空の行いまで流布され、完膚なきまでに痛めつけられ、何の弁解も成り立たず……」と述べるうちに声が途切れ、感極まってハンカチで目頭を押さえた。

 一息ついた後、彼は日本国の名誉を損なった責任を取って「密かに身を処する潔さに心ひかれ……」と自殺を考えたことを示唆した。その上で、「日本人的な潔さの美名に隠れ、安易な道を選ぶことは許されないと覚悟し……」と、前年の総選挙に出馬した意義を語った。加山はその選挙で16万8522票を獲得し、2位にトリプルスコアの差をつけて当選したことをしつこいぐらいに強調し、「私は無実であります」という言葉で意見陳述を締めくくった。加山にとっては選挙の結果こそが民意だった。その民意に行政はもちろん、司法さえも従うべきだという信念があった。

 だが、それに続く検察側の冒頭陳述は、情緒的な加山の意見陳述を真っ向から否定するものだった。その話しぶりは、冷徹なまでに自信に溢れており、加山の主張を一笑に付すかのようだった。丸紘物産が加山に行った要請の内容の詳細や、L社からのカネを受け取った経緯、その受け渡し場面などを生々しく描写し、傍聴席の関係者や記者らの度肝を抜いた。検察はダメ押しに、加山が秘書に隠ぺい工作を指示していたことまで指摘した。

 加山と検察は、正反対の主張を行って、長い戦いをスタートしたのだった。

 第三者から見れば、初公判で検察側に相当に押し込まれた加山だったが、闘争心はなお強く、その後の公判には毎回欠かさず通った。

 裁判が始まってから、むしろ加山の体調は良くなっていた。

 現役の総理の時代は、自分をイライラさせる目的で、これだけの数の人間がなぜやって来るのかと疑問に思うほどで、血圧は上がりっぱなしだった。夜はウイスキーをストレートで飲み干し、倒れるように寝ないと目が冴えてしまう。ストレスが祟って顔面神経痛になり、顔が歪んだことさえあった。

 それに比べれば、裁判など楽なものだった。政治が、ルールのない野良犬のケンカだとしたら、裁判はチェスのような紳士のゲームだった。

 彼は趣味のゴルフを再開し、小沢一郎など若い議員と一日に2ラウンド、時には3ラウンドも回った。加山の顔も腕も、戦前戦中に建設現場に出ていたころのように赤銅色に日焼けし、健康そのものだった。

 ところが、裁判の後半、加山はますます情勢不利に追い込まれていく。

 暗転のきっかけになったのが1981年10月の公判だった。検察側が思わぬ証人を立ててきたのだ。証人として出廷したのは、加山が汚れ仕事を任せていた秘書、窪田敏夫の前妻、美佳だった。

 法廷で彼女を見て、加山は、窪田の結婚で仲人を務めたことを思い出した。窪田より18歳も年下の美人だった。離婚協議がこじれた際、仲裁を頼まれたが断った経緯があった。嫌な予感がした。

 案の定、彼女は法廷で、とんでもないことをしゃべり始めた。