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フジ「月9」はなぜ瀕死状態になったのか? ついに打ち切り話まで… その栄枯盛衰をたどる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50204
2016.11.16 中川 右介 編集者 評論家 現代ビジネス
フジテレビの月曜9時からの1時間ものの連続ドラマを、テレビ業界内やドラマ好きの人々が「月9(げつく)」と呼ぶようになったのは、1991年あたりからだ。
この年は『東京ラブストーリー』と『101回目のプロポーズ』がともに30%を越える視聴率を取って大ヒットした。
その後も『ひとつ屋根の下』『ロングバケーション』『ラブ ジェネレーション』『HERO』など、30%を越えるドラマを次々と放ち、フジテレビを象徴する枠となっていた。
その「月9」がいま、瀕死の状態にある。
■フジテレビ凋落の象徴
今年(2016)の「月9」は「最低視聴率記録の更新」しか話題がないといっていい。
これまで『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』『ラブソング』『好きな人がいること』と、王道のラブストーリーを放映したが、ことごとく、平均視聴率が10%に達しなかった。現在放映中の『カインとアベル』も苦戦している。
なかでも、『ガリレオ』をはじめ「月9」で高視聴率を取ってきた福山雅治を起用して、起死回生を狙った『ラブソング』(4月〜6月)の惨敗は衝撃だった。
テレビ界全体が、20%を取る番組がたくさんある状況ではなくなっているが、以前があまりにもよかっただけに、「月9」の視聴率の低下が目立つ。
同時に、フジテレビも業績不振から抜け出せないであえいでいる。
連続ドラマはその局の「顔」、象徴であり、連続ドラマが好調な局は全体もいい。「月9」の低迷とフジテレビ全体の業績悪化とは、ニワトリと卵のような関係で、どちらが先かは分からないが、連動しているのは間違いない。
■「月9」全盛期
「月9」の全盛期は、実は20年前である。
年間4作の全ての平均視聴率が20%を越えたのは、過去に1年だけしかない。それが1997年で、頂点の年だ。【以下( )はそれぞれの平均視聴率。】
97年以前、最初に4作中3作が20%以上になったのが91年で、鈴木保奈美・織田裕二の『東京ラブストーリー』(22.9)、浅野温子・武田鉄矢の『101回目のプロポーズ』(23.6)、中山美穂・大鶴義丹の『逢いたい時にあなたはいない…』(22.0)の3作が達成した。これで「月9」は人気ドラマ枠として不動の地位を得た。
次が93年で、江口洋介・福山雅治の『ひとつ屋根の下』(28.2)、中井貴一・観月ありさの『じゃじゃ馬ならし』(21.8)、石田ひかり・筒井道隆の『あすなろ白書』(27.0)。
そして95年、和久井映見・堤真一の『ピュア』(23.8)、木村拓哉・山口智子の『ロングバケーション』(29.6)、中山美穂・唐沢寿明の『おいしい関係』(21.8)と、一年おきにヒット作連作の年が来て、やはり一年おいて97年にパーフェクトを達成する。
その1997年のラインナップは、和久井映見・反町隆史の『バージンロード』(21.4)、江口洋介・福山雅治の『ひとつ屋根の下2』(27.0)、反町隆史・竹野内豊の『ビーチボーイズ』(23.7)、木村拓哉・松たか子の『ラブジェネレーション』(30.8)である。
その後、4作のうち3作が20%を越えた年はない。
2作が越えたのが2002年で、香取慎吾・松岡充の『ひとにやさしく』(21.4)、明石家さんま・木村拓哉の『空から降る一億の星』(22.6)と、2004年の木村拓哉・竹内結子の『プライド』(25.1)と織田裕二・矢田亜希子の『ラストクリスマス』(21.6)。
このあたりまではよかった。2004年から2008年までも、年に1作は20%を越えていた。しかし2008年の木村拓哉・深津絵里の『CHANGE』が22.1%だったのを最後に、20%を越えるものは途絶えてしまう。
2009年の最高は小栗旬・水嶋ヒロの『東京DOGS』の15.8%である。いまから思えば、この時点で手を打たなければならなかった。いや、手は打ったのだろう。だが、ますます迷走するようになっていく。
以後、20%を越えたのは、2014年の木村拓哉の『HERO』第2シリーズ(21.3)しかない。この『HERO』も、2001年の最初のシリーズは34.3.%だったので、かなり落ちている。
■「月9」と木村拓哉の深い関係
高視聴率作を並べると、木村拓哉主演作が多いことが分かる。「月9」の隆盛は同時に木村拓哉の、さらにはSMAPの隆盛と連動している。
フジテレビ月曜9時が連続ドラマになったのは1987年4月からだった。昭和天皇が手術をした年で、いったんは快復し公務にも戻ったが、翌88年秋に倒れ、89年1月7日に昭和は終わる。
つまり、「月9」の歴史と平成史はほぼ重なる。同時にSMAPの歴史も重なり、彼らがジャニーズ事務所に入ったのが87年で、そのなかの6人がSMAPというグループになるのが88年、そして「月9」が最初に社会現象化する大ヒット作『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』の1991年に、SMAPはCDデビューを果たす。
木村拓哉が最初に「月9」に出たのが93年の『あすなろ白書』で、主役ではなかったのだが、彼の人気が爆発し、それに牽引されてSMAP全体も有名になっていく。
その次に木村拓哉が、今度は主役として登場したのが96年4月の『ロングバケーション』だ。同時に月曜10時の『SMAP✕SMAP』も始まった。
木村拓哉以外のメンバーも、全員が「月9」では主演しており(稲垣吾郎のほうが木村より早い)、SMAPと「月9」の蜜月が続いた。
ここまで関係が深いと、SMAP解散により12月で『SMAP✕SMAP』が終わるからには「月9」にも何らかの決断が必要になるのではと、誰もが思う。
いまのところ、フジテレビの亀山千広社長は「月9」打ち切り説を否定しているが、来年4月の番組改編期にどうなるかが注目されているわけだ。否定しているということは、そういう話が出ていることを逆に物語っている。
■「月9」を踏み台にして社長になった
フジテレビが1987年に月曜9時をドラマ枠とした時、編成局にいて担当したのが、現社長の亀山千広である。当時31歳だった。
当初は恋愛ドラマではなくマスコミ業界を舞台したドラマが続き、それらはフジテレビではなく、外部のプロダクションに外注されていた。亀山は局側のプロデューサーとして、いくつもの作品を手がけ、最初のヒット作が田原俊彦主演の『教師びんびん物語』(88、89年)だった。
88年から「月9」枠はフジテレビ第一制作部がつくるようになり(その後も外部プロダクション制作のものもある)、1946年生まれの山田良明と58年生まれの大多亮が担う。
二人は「月9」を始めるにあたり、ターゲットを20代の女性に絞った。こうして始まったのが、トレンディードラマ路線である。
1988年に、月曜9時ではなく木曜10時枠で放映した『抱きしめたい!』で、トレンディードラマは確立される。浅野温子と浅野ゆう子の「W浅野」時代の到来でもあった。
大多が『東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』『ひとつ屋根の下』などのヒット作を放っている頃、亀山も第一制作部に異動になるが、なかなかヒットを出せないでいた。
93年の『あすなろ白書』から亀山もヒットが出せるようになり、『ロングバケーション』で頂点を極める。「木村拓哉時代」の始まりだ。
その後、亀山は「月9」ではないが『踊る大捜査線』をプロデュースし、その映画版が大ヒットした。
亀山と大多はともに社長候補と目されるようになり出世街道を歩むが、彼らが現場から離れ、役員になった頃から「月9」の低迷、そしてフジテレビ全体の業績悪化が始まる。
そして、出世レースでは亀山が勝利し、2013年に社長になった。
こういう流れがあって、こんにちの「月9」は存在する。
■「月9」は「もうひとつの日本」だった
さて、10月に、私は『月9 101のラブストーリー』(幻冬舎新書)という、480ページもある本を出した。
「月9」が始まる1987年から96年の『ロングバケーション』までの39作品を可能な限り見直して、そのストーリーと現実世界でのニュース、そして芸能界の動きなどを並行させて描く「現代史」として書いたものだ。
この後、木村拓哉の『HERO』や福山雅治の『ガリレオ』など犯罪事件を扱うドラマも生まれるが、最初の10年はほとんどが恋愛ドラマで、いわゆる社会派ドラマはない。
9時という時間帯は、NHKではニュース番組を放送している。大事件が起きれば、普段はニュースを見ない人でも、チャンネルをNHKにするだろう。
しかし大事件が「月9」の視聴率を大きく下げることはほとんどなかった。オリンピックの時期は低くなるという程度だ。
1990年代には、〈リアル日本〉とは別に、〈「月9」のなかの日本〉という二つの日本が確実に存在していたように思うのだ。
「月9」は、劇中のファッションやデートスポットや住んでいるマンションの豪華さなどが話題になり、「表層だけで中身がない」という批判にさらされていたが、そういう批判こそが、「上辺だけしか見ることができない無能な批評」であった。
そこには、戦後民主主義の到達点というべき、自由と繁栄があったのだ。理想の結実だったはずだ。それを確認したくて、本を書き、そして確認できた。「月9」の若い男女は、バブル崩壊にも負けることなく、自由で繁栄を謳歌していた。
しかし、リーマンショック後はドラマの中の人々も、生きづらそうだ。それも低迷の一因なのかもしれない。
「月9」は来年で30年を迎える。ひとつ時間枠が同傾向のドラマをこれだけ長く作り続けているのは、他にNHKの大河ドラマと朝ドラくらいのものだろう。大河も朝ドラも低迷期があったが、継続し、立ち直った。
民放の場合は、視聴率、つまりはスポンサーの理解と支持つまりは資金提供がなければならないので、NHKと同条件ではないが、その時代ごとに旬な俳優と脚本家を起用して「いまの恋愛」を描き続けた伝統は、守ってほしいと思う。
すでに若くない私としては、最近の「月9」に共感するシーンはほとんどないが、それはそれでいいのだ。むしろ私の世代が共感するようなものを作っては、いまの若い人には支持されないだろう。
あるいは、ターゲットを40代、50代のかつての「月9」熱中世代に転換して、『東京ラブストーリー』の続編を作るのも一案ではある。柴門ふみの原作の続編の連載が始まったのは、その伏線なのだろうか。
リカとカンチの「その後」――見たいような見たくないような、複雑な思いだ。
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