40. 母系社会 2014年11月26日 14:22:05
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>>34さん★日本では悪人でも、死ねば「ほとけさま」と呼び、手を合わせるように神 として扱うが、これは世界でも極めて珍しい人間観。A級戦犯が靖国神社に 祭られていて、多くの日本の国民が許容しているのも、この珍しい人間観が 背景にある可能性がある。 ★この人間観とは死ねば誰でも天国に行くと考え、地獄は無いという世界観。 つまり、日本の真の伝統思想には地獄という観念が無かった。親鸞が誰でも 「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで天国に行けると説き、仏教を日本化させ、 事実上、地獄という観念を消滅させたのも、この人間観が背景にある。 (当時は厳しい飢饉が起きていて、ほとんどの民衆は自分用の食料しか無く、 助けを求められても助けられなかった。それで、悪いことをした思い込んだ 民衆は、真剣に地獄に墜ちると脅えていたので、親鸞が「悪人正機」説を 唱えて民衆を救ったのである) ★★これは、現代西欧哲学では「関係主義」の人間観。わかりやすく言えば、 産まれながらの悪人はいないという人間観。この人間観を唱え導いてきたの が日本の真にオリジナルな宗教である「古神道」=「縄文神道」で、この 「古神道」の神髄にある哲学こそ、世界に広めなければならない真の人間救済 =解放思想です。 ★★日本の「古神道」の世界観は、アジアの仏教や儒教、道教、イスラム教 などにも共通している<根本哲学>なので、アジアの伝統思想に共通する哲学 であり、西欧の宗教や諸思想の根本にある哲学とは根本的に異なるもので、 西欧思想が誕生する以前の世界共通の哲学とも言える。 ★★日本の「古神道」=「縄文神道」の教団・勢力は地獄という思想を持ち、 天照大神を皇室の祖神とする天皇の勢力により滅ぼされ、「古神道」の神髄 である人間観は、まだ、日本人の心の奥底に生きている。 @日本列島には、少なくとも12万年前から人が暮らしていた。(島根県 出雲市の砂原遺跡で、約12万年前の旧石器が発見) A今から約16500年前から約3000年前までを縄文時代と呼び、雑穀 などの栽培も行われたとする説もあるが、縄文人(古モンゴロイド・Y染色体 (父系)D2系)は、主に狩猟採集などで生活を営んでいたことは定説。 Bその後の紀元前9世紀頃(紀元前3世紀中頃説もある)から紀元後3世紀頃 までは弥生時代と呼ばれているが、この頃、朝鮮半島や中国大陸から、弥生人 (新モンゴロイド)が渡来して、日本で稲作を始めたというのが定説。 (新モンゴロイドは、Y染色体(父系)O3系の漢民族やO2系の朝鮮民族。 平均的な日本人は、古モンゴロイドの血が約50%、漢民族や朝鮮民族の血 が、それぞれ約25%づつ流れる混血民族で、若干の南方系の血も混じる。 古モンゴロイドの血は、東に行くほど濃くなり、アイヌ人はほぼ100%が D2系。だから、日本列島固有の血を持つ民族はアイヌ人である) C天皇は、毎年「宮中祭祀」という儀式を行っている<天皇教>=<アマテラ ス教>の教祖であり、新嘗祭などのある「宮中祭祀」を行う<天皇教>は、 稲作民=弥生人=の宗教であることは明白である。 つまり、天皇の一族は、紀元前9世紀頃から紀元後の3世紀頃までの間に渡来 してきた多くの稲作民部族の中の一部族の首長であり、同時に、その部族が 信じていた<天皇教>の「生き神」とされていた教祖の子孫なのである。 (継体天皇の時に断絶したという説もあるが、問題なのはその思想・世界観。 当時は、米国北西沿岸インディアンのトーテムポールのように、部族ごとに 異なった神を信じていたので、それぞれの部族は、それぞれ別の宗教教団の ような存在でもあった。この頃の宗教は政治・経済思想でもあり法源だった) ★天皇の一族は、朝鮮半島や中国大陸から、九州に上陸=移住してきた稲作を 営む新モンゴロイド系部族の首長一族であり、彼らは日本上陸後、徐々に西進 して、京都周辺に本拠地を構えた部族だった。 だから、彼らは中国の中華思想を取り入れて、京都よりも北東に住む古モンゴ ロイド系の先住民を蝦夷や毛人と呼んだ。新モンゴロイドとは身体的に異なる 古モンゴロイド系の東日本人をエビの如き野蛮人という蔑称で呼んでいたが、 おそらく、蝦夷側も天皇の部族を野蛮人と見なしていたはずなので、お互い様 であり、こうしたことはそれほど重要なことではない。 ★問題なのは、彼らが「新モンゴロイド=朝鮮人や中国人系の民族」である ことではなく、彼らの文化の核を成す<天皇教>は<地獄>という観念・思想 がある比較的新しい宗教=文化を朝鮮半島や中国大陸から日本に持ち込んだ ことである。 ★<地獄>という観念は人々を脅かす反人間的思想である。だから、<地獄> というイリュ―ジョンが無い宗教の方が良い宗教であり、それが約1・6万年 も前から日本に住んでいた縄文人の宗教であり、本当の日本の宗教=古神道。 ★この貴重な古神道を信仰していたアイヌ人の祖先を除く縄文系部族は、天皇 の部族に征服されたために同化され、縄文人の宗教も失われて詳しいことは わからなくなってしまった。しかし、それでも、奈良県桜井市三輪にある 「大神神社」(三輪明神・三輪神社)は、神武の東征以前より先住していた 縄文系部族が崇敬していた日本最古の神社の一つであり、その他の<天皇教> 系神社にも、茨城の鹿島神社のように巨石や巨木を神として祭る神社が多い。 日本の多くの神社は、元々は「古神道」=「縄文神道」の神社だったから、 同じ<天皇教>系の神社でも、祝詞は東日本と西日本では異なるのである。 「大神神社」の神は三輪山そのもので、三輪山自体が神体であるために、 「大神神社」には本殿が無い。このように、山や巨石、巨木自体を神と見なす 自然崇拝の宗教こそが、我々日本人が継承すべき日本のオリジナルな伝統宗教 =原始神道=古神道である。 (元々は<天皇教>系神社にも、今のような本殿は無かった。今の神社の様式 は、仏教寺院を真似たものである) これは、柳田國男が現在の岩手県遠野市に伝わる民話を集めた「東野物語」 にも書かれているので、奈良だけでなく、日本中が同様の古神道を信じていた 時代があったことがわかる。 というか、おそらく「古神道」的宗教は日本だけでなく、世界中の人類がある 時代まで信じていた人類最古の宗教=世界観であり、「古神道」では、人は 死ぬと魂となり、山や巨石、巨木などに宿り、そこでしばらく休むと、再び里 に戻り、大人の女性から産まれてくると信じられていた。 つまり、幼児は祖先でもあるので大切に育てられたし、そもそも、このような 山や巨石、巨木は<天国>という世界観である。ということは、人は誰でも 死ねば<天国>に行けるということになる。この宗教では産まれながらの悪人 とか善人はいないということ、悪人になったのは生後の環境が悪いからという ことになる。 (つまり「衣食たりて礼節を知る」という儒教の人間観に通じる。だから、 人間には、生まれながらの馬鹿も、利口もいないのであり、誰の子供からも 「天才」は生まれる。というか、生まれながらの「天才」が幻想である) ★ところが、<地獄>という観念は、産まれながらの悪人がいて、そのような 悪人が死後に行く世界ということになる。なぜなら、産まれながらの善人なら、 死後に地獄に行かされるのは道理に合わないからで、善人でも地獄に落とす ような神は、悪の神=悪魔ということになってしまうからだ。 逆に、産まれながらの善人や悪人がいるならば、善人は死後天国へ、悪人は <地獄>へという道理にかなうことになるので、結局は、人間は神が個々に悪 とか善という性質を込めて、創ったということになる。 それで、この人間観では悪を為す人間は神が悪人として創造した人ということ になって矯正不可能だから殺しても良い、むしろ殺すべき。殺せば殺すほど、 世界から悪が無くなる、世界は浄化されるという殺人肯定思想になる。 だから、米兵は「ビンラディンのような悪人は、たとえ身に寸鉄を帯びて いない非武装でも、また、裁判に掛けなくとも殺して良い」という基本的人権 を無視した野蛮なことを平気でするし、米国民も無力な老人を殺したのに、 喝采する野蛮な社会になる。 ★★こうなるのは、神はどのような人を創造するか考え、そのコンセプト通り に創造したと考えるからであり、これでは神のコンセプト(善や悪)が個々の 人間に具えられているということ=ものの本質や性質は個々のものが具えて いるものという<本質主義>の存在論となる。 一方で、東洋の神話では、人間やこの世界の個々のものは、神の身体から、 産れた、植物のように自生したと考えるので、<本質主義>の存在論にはなら ない。だから、これは現代西欧哲学の「関係主義」の人間観と同じであり、 言うまでもなく仏教は、この「関係主義」の哲学を極めた宗教。 (実は、マルクス思想も、この「関係主義」の哲学なので東洋的思想である) 日本の真にオリジナルな宗教である「古神道」=「縄文神道」は、産まれ ながらの悪人も善人も馬鹿も利口もいないという人間観を唱え、死ねば皆天国 に行けると教えていた。 ★★だから、この東洋思想の神髄にある「関係主義」の哲学こそ、世界に 広めるべき真の人間救済=解放思想です。 <地獄>という観念がある<天皇教>は、古神道よりも新しい宗教であるが、 古神道の方が優れた宗教なので、日本は<天皇教>を元の民間宗教に戻して、 日本人の宗教は、たかだか数千年の歴史しかない<天皇教>ではなく、日本人 が太古の昔から信じてきた古神道だと広めるべきで、象徴天皇制は廃止すべき であり、<天皇教>は国家のシステムから切り離して、天皇一族の生活は、 <天皇教>の信者がお布施で支えるべきで、税金を使うべきではない。 ●天皇制支持者は、衣食住を保障する代わりに、天皇から自由な言動をする 権利=基本的人権を奪い、自分たちが望む一定の範囲内の言動をするよう暗黙 のうちに強要し、その期待した言動から外れると非難する。だから、天皇は 「高級奴隷」。奴隷制度は良くない。<天皇教>の教祖として「解放」すべき。 ●天皇が毎年行っている主な「宮中祭祀」(WIKIより) 1月1日 四方拝(しほうはい)、歳旦祭(さいたんさい) 1月3日 元始祭(げんしさい) 1月4日 奏事始(そうじはじめ) 1月7日 昭和天皇祭(しょうわてんのうさい) 1月30日 孝明天皇例祭(こうめいてんのうれいさい) 2月17日 祈年祭(きねんさい) 春分の日 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、春季神殿祭 (しゅんきしんでんさい) 4月3日 神武天皇祭(じんむてんのうさい)、皇霊殿御神楽 (こうれいでんみかぐら) 6月30日 節折(よおり) 、大祓(おおはらい) 7月30日 明治天皇例祭(めいじてんのうれいさい) 秋分の日 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)、秋季神殿祭 (しゅうきしんでんさい) 10月17日 神嘗祭(かんなめさい) 11月23日 新嘗祭(にいなめさい) 12月中旬 賢所御神楽(かしこどころみかぐら) 12月23日 天長祭(てんちょうさい) 12月25日 大正天皇例祭(たいしょうてんのうれいさい) 12月31日 節折(よおり)、大祓(おおはらい) 毎月1、11、21日 旬祭(しゅんさい) 毎日 日供の儀(にっくにのぎ) 毎朝御代拝(まいちょうごだいはい) 宮中祭祀 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E4%B8%AD%E7%A5%AD%E7%A5%80 ★廣松渉は「物象化論」の立場からマルクスを解釈し、マルクス思想は、仏教 と同じ「関係主義」としてのマルクス主義という立場を確立した。 マルクス学者が嫌いな人は、ソシュールの研究者である丸山圭三郎でも良い。 丸山圭三郎と廣松渉の世界観はほとんど同じ。 廣松渉 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E6%9D%BE%E6%B8%89 丸山圭三郎 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E5%9C%AD%E4%B8%89%E9%83%8E#.E5.BD.B1.E9.9F.BF.E3.82.92.E3.81.86.E3.81.91.E3.81.9F.E4.BA.BA.E7.89.A9 本質主義 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%B3%AA%E4%B8%BB%E7%BE%A9 関係主義 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E4%BF%82%E4%B8%BB%E7%BE%A9
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