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UFC Japan: Ultimate Japan(ユーエフシー・ジャパン:アルティメット・ジャパン、別名UFC 15.5)は、アメリカ合衆国総合格闘技団体「UFC」の大会の一つ。1997年12月21日神奈川県横浜市横浜アリーナで開催された。本大会はUFC初の日本開催の大会であり、UFC-J事務局が運営する初の日本大会でもあった。

UFC Japan: Ultimate Japan
イベント詳細
シリーズ UFCPPV
主催 SEG
開催年月日 1997年12月21日
開催地 日本の旗 日本
神奈川県横浜市
会場 横浜アリーナ
試合数 全7試合
放送局 日本テレビ
よみうりテレビ
入場者数 11,850人[1]
イベント時系列
UFC 15: Collision Course UFC Japan: Ultimate Japan UFC 16: Battle in the Bayou

大会概要

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本大会は、UFCが初めてアメリカ合衆国以外の国で開催された大会(アメリカの自治領プエルトリコでの開催(UFC 8)はあり)で、UFC初の日本大会となった。

メインイベントのUFC世界ヘビー級タイトルマッチで、挑戦者ランディ・クートゥアが王者モーリス・スミスを破り、第3代UFC世界ヘビー級王者となった。

初代UFC世界ミドル級(後のライトヘビー級)王座決定戦では、UFC初出場のフランク・シャムロックケビン・ジャクソンを破り、初代王者となった。

日本人勢は、UFC-Jが提携関係にあったキングダム[2][3]から安生洋二桜庭和志がヘビー級トーナメントに出場した。金原弘光の代打で急遽出場した桜庭和志[4]が1回戦でマーカス・コナンと対戦し、レフェリーの誤審(レフェリーがVTRを確認し、レフェリーストップによる桜庭のTKO負けから無効試合に変更)により無効試合となるも、もう一方のブロックで1回戦を勝ち上がったタンク・アボットが怪我により棄権したため、決勝でマーカス・コナンと再戦することになり、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め、ヘビー級トーナメントを優勝。マイクで「プロレスラーは本当は強いんです」「昨日は1時前までポケモンやってました」と発言し、一躍名を挙げることになった[5][6]

なお、主催者発表では1万人以上と発表されている観客数だったが、実際には動員に苦戦していたことが伝えられている[7]

フランク・シャムロックと桜庭和志がUFCに初出場した。

2016年まで長年UFCで実況アナウンサーを務めることになるマイク・ゴールドバーグが初めて実況アナウンサーを務めた。

日本でのテレビ放送

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日本では当日深夜に日本テレビよみうりテレビで1時間25分番組の録画中継番組が放送された。解説とゲストは当時パンクラス所属の高橋義生と作家の夢枕獏。インタビュアーはタレントの安西ひろこが務めた。日本テレビは1時1分から2時40分まで放送され、ビデオリサーチ調べの平均視聴率は、4.0%で最高瞬間視聴率は5.9%。占拠率は37.8%に及んだ。よみうりテレビは3時25分から4時50分の放送で平均視聴率は2.9%、占拠率は70%だった[8]

試合結果

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第1試合 ヘビー級 12分1R
  トレイ・テリグマン vs.   ブラッド・コーラー ×
1R 10:05 腕ひしぎ十字固め
第2試合 UFC-Jヘビー級トーナメント 1回戦 15分1R
  タンク・アボット vs.   安生洋二 ×
1R終了 判定3-0
アボットは拳の骨折により、勝利後にトーナメントを棄権
第3試合 UFC-Jヘビー級トーナメント 1回戦 15分1R
  桜庭和志 vs.   マーカス・コナン -
1R 1:51 無効試合(誤審)
※アボットの負傷棄権により両者が決勝進出
第4試合 UFC世界ミドル級王座決定戦 21分1R
  フランク・シャムロック vs.   ケビン・ジャクソン ×
1R 0:16 腕ひしぎ十字固め
※シャムロックが王座獲得に成功
第5試合 ヘビー級 15分1R
  ビクトー・ベウフォート vs.   ジョー・チャールズ ×
1R 4:03 腕ひしぎ十字固め
第6試合 UFC-Jヘビー級トーナメント 決勝戦 15分1R
  桜庭和志 vs.   マーカス・コナン ×
1R 3:44 腕ひしぎ十字固め
※桜庭がトーナメント優勝
第7試合 UFC世界ヘビー級タイトルマッチ 21分1R
  ランディ・クートゥア vs.   モーリス・スミス ×
1R終了 判定2-1
※クートゥアが王座獲得に成功

脚注

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  1. ^ 格闘技通信』1月26日増刊号、ベースボール・マガジン社、p.34。
  2. ^ kamipro編集部編『U.W.F.変態新書』エンターブレイン、2008年、p.156。
  3. ^ 当時、キングダムに所属していた金原弘光高山善廣によるとキングダムの選手がUFC-J専属になる話やキングダム所属の垣原賢人がUFC-Jへ移籍するという話があったという関係だった(『プロレス狂の詩 夕焼地獄流離篇』エンターブレイン、2006年、pp.52,58)。
  4. ^ 桜庭和志『ぼく。』東邦出版、2000年、p.136。
  5. ^ 『格闘技通信』1月26日増刊号、ベースボール・マガジン社、po.8-9。
  6. ^ 『U.W.F.変態新書』p.150。
  7. ^ 別冊宝島 プロレス読本 FILES Vol.5』宝島社、1998年。
  8. ^ 『格闘技通信』1月26日増刊号、ベースボール・マガジン社、po.4,18,34。

関連項目

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外部リンク

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