立花家千橘 (4代目)
四代目 立花家 千橘(たちばなや せんきつ、1946年2月3日 - )は、樺太生まれの高知県(名古屋市在住経験も在る)育ちの落語家。本名は田井 利孝。立花オフィス(一時師匠の事務所であった露の五郎兵衛事務所所属)所属、上方落語協会顧問。
四代目 | |
第23回彦八まつりにて(2013年8月31日) | |
本名 | 田井 利孝 |
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生年月日 | 1946年2月3日(78歳) |
出生地 | 日本・樺太 |
師匠 | 二代目露の五郎兵衛 |
名跡 | 1. 桂団丸 (1966年 - 1968年) 2. 露の団丸 (1968年 - 1993年) 3. 四代目立花家千橘 (1993年 - ) |
活動期間 | 1967年 - |
活動内容 | 上方落語 |
所属 | 立花オフィス |
公式サイト | 立花家 千橘(たちばなや せんきつ) |
備考 | |
上方落語協会理事(? - 2018年) 上方落語協会顧問(2018年 - ) | |
来歴
編集樺太の生まれで戦後まもなく高知県に引き揚げた。名古屋市立菊里高等学校定時制卒業。高校時代に演芸を知り大須演芸場に通うようになり1966年6月1日、2代目露の五郎兵衛(当時は2代目桂小春団治)に入門、桂団丸を名乗る。1967年にうめだ花月で初舞台。1968年、師が2代目露乃五郎を襲名したことに伴い、亭号を「露の」に改める。
1993年、4代目立花家千橘を襲名し、1951年に2代目立花家花橘が死去して以来、上方では途絶していた亭号「立花家」を復活させた。立花家は従来三遊派に属する色物芸人(立花家橘之助はその一人)の亭号とされていたため、襲名に際しては8代目橘家圓蔵[1][2]の許諾を得ており、2015年現在圓蔵一門の分家扱いになっている。また同時に大阪俄の演者としては、4代目大阪屋町人を襲名した。
デビュー当時は名古屋なまりが酷かったが克服している。音曲・舞踊にも通じ、杵屋流長唄、松本流御殿舞を長く続けている。
年に一度、10月にワッハホールにて独演会開催。他にも講演会や土佐武寄席も開催。最近の高座では、特に芝居噺に力を入れている。
芸歴
編集出典
編集- 『上方落語家名鑑』(やまだりよこ著、出版文化社、2006年)
- 『もうひとつの上方演芸』(大阪ゲラゲラ学会、1997年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 立花家 千橘(たちばなや せんきつ) - 公式サイト
- 協会員プロフィール:立花家千橘 - 上方落語協会公式プロフィール