渡辺載綱
日本の江戸時代中期~後期の武士。紀州藩年寄渡辺親綱次男で、渡辺主水家5代当主。従五位下主水正
渡辺 載綱(わたなべ のりつな)は、江戸時代中期から後期にかけての紀州藩士。渡辺主水家5代当主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦6年(1756年) |
死没 | 文化13年7月17日(1816年8月10日) |
別名 | 通称:八三郎、又三郎、主水 |
官位 | 従五位下、主水正 |
主君 | 徳川治貞→治宝 |
藩 | 紀州藩 |
氏族 | 三河渡辺氏 |
父母 | 父:渡辺親綱 |
兄弟 | 男子、戴綱、伊達正博 |
子 |
渡辺登綱室 養子:登綱(戸田清郷四男) |
略歴
編集宝暦6年(1756年)、紀州藩家老・渡辺親綱の次男として誕生した。安永5年(1777年)、部屋住の身で召し出され、御膳番格となり米30石、のち累進して大小姓頭となり300石に加増される。寛政元年(1789年)、父の死去により家督と知行3000石を相続する。
寛政7年(1795年)、御側御用人。寛政8年(1796年)、年寄の列に加えられ、月番加判となる。享和2年(1802年)、従五位下・主水正に叙任。文化元年(1804年)、藩士・戸田清郷の四男である主膳(登綱)を婿養子とする。文化7年(1810年)、熊野本宮大社造営の奉行を務める。文化9年(1812年)、隠居して家督を主膳(登綱)に譲る。
文化13年(1816年)7月17日死去。享年61。
出典
編集- 「南紀徳川史」