梁州
九州の梁州
編集魏晋南北朝時代
編集漢代に州制が施行された際には梁州は設置されず、代わりに益州が置かれた。263年(景元4年)、魏が蜀を滅ぼすと、益州を分割して梁州が設置された[2]。州治は沔陽県に置かれた。
282年(泰始3年)、西晋により州治は南鄭県に移された。梁州は漢中郡・梓潼郡・広漢郡・新都郡・涪陵郡・巴郡・巴西郡・巴東郡の8郡44県を管轄した[3]。成漢が益州と梁州を占拠すると、東晋は襄陽県に梁州を僑置した。成漢を滅ぼしてその版図を組み入れると、梁州はもとの地にもどされた。
南朝宋のとき、梁州は漢中郡・魏興郡・新興郡・新城郡・上庸郡・晋寿郡・華陽郡・新巴郡・北巴西郡・北陰平郡・南陰平郡・巴渠郡・懐安郡・宋熙郡・白水郡・南上洛郡・北上洛郡・安康郡・南宕渠郡・懐漢郡の20郡を管轄した[4]。
南朝斉のとき、梁州は漢中郡・魏興郡・新興郡・南新城郡・上庸郡・晋寿郡・華陽郡・新巴郡・北巴西郡・巴渠郡・懐安郡・宋熙郡・白水郡・南上洛郡・北上洛郡・安康郡・南宕渠郡・懐安郡・北陰平郡・南陰平郡・斉興郡・晋昌郡・東晋寿郡・弘農郡・東昌魏郡・略陽郡・北梓潼郡・広長郡・三泉郡・思安郡・宋昌郡・建寧郡・南泉郡・三巴郡・江陵郡・懐化郡・帰寧郡・東犍為郡・北宕渠郡・宋康郡・南漢郡・南梓潼郡・始寧郡・江陽郡・南部郡・南安郡・建安郡・寿陽郡・南陽郡・宋寧郡・帰化郡・始安郡・平南郡・懐寧郡・新興郡・南平郡・斉兆郡・斉昌郡・新化郡・寧章郡・隣渓郡・京兆郡・義陽郡・帰復郡・安寧郡・東宕渠郡・宋安郡・斉安郡の68郡を管轄した[5]。
504年(正始元年)、北魏が南朝梁から梁州を奪取した。梁州は晋昌郡・褒中郡・安康郡・漢中郡・華陽郡の5郡14県を管轄した[6]。535年(大同元年)、梁の北梁州刺史蘭欽が漢中を攻め落とし、梁州を奪回した[7]。552年(廃帝元年)、梁の梁州刺史蕭循(蕭恢の子)が梁州ごと西魏に降った[8]。
隋代
編集583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、梁州の属郡は廃止された。605年(大業元年)、洋州を併合し、梁州は13県を管轄することとなった。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、梁州は漢川郡と改称され、下部に8県を管轄した[9]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | ||||||||||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | |||||||
州 | 梁州 | 洋州 | 集州 | 郡 | 漢川郡 | |||||
郡 | 漢川郡[10] | 褒内郡[11] | 華陽郡 | 儻城郡 | 洋川郡 | 豊寧郡 | 洋中郡 | 平桑郡 | 県 | 南鄭県 城固県 褒城県 西県 興勢県 黄金県 西郷県 難江県 |
県 | 南鄭県 城固県 |
褒内県 白雲県 |
華陽県 嶓冢県 沔陽県 |
興勢県 竜亭県 |
洋川県 黄金県 |
豊寧県 懐昌県 |
難江県 |
唐代
編集618年(武徳元年)、唐により漢川郡は梁州と改められた。742年(天宝元年)、梁州は漢中郡と改称された。758年(乾元元年)、漢中郡は梁州の称にもどされた。梁州は山南西道に属し、南鄭・褒城・城固・西・金牛・三泉の6県を管轄した。784年(興元元年)、梁州は興元府に昇格した[12]。