堺区
大阪府堺市の行政区
堺区(さかいく)は、堺市を構成する7行政区のうちの1つ。中世以来の環濠都市であった地域を含み、市役所、裁判所などの官庁やシティホテル、商店などが集積している堺市都心部の機能が集積した中心部である。
さかいく 堺区 | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
市 | 堺市 |
市町村コード | 27141-1 |
面積 |
23.66km2 |
総人口 |
149,302人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) |
人口密度 | 6,310人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
堺市(西区、北区) 大阪市(住吉区、住之江区) |
堺区役所 | |
所在地 |
〒590-0078 大阪府堺市堺区南瓦町3番1号 北緯34度34分24秒 東経135度28分58.8秒 / 北緯34.57333度 東経135.483000度座標: 北緯34度34分24秒 東経135度28分58.8秒 / 北緯34.57333度 東経135.483000度 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキプロジェクト |
概要
堺市の北西部に位置し、北を大和川が流れ、西は大阪湾に面する。沿岸部は主に埋立地が広がり、堺泉北臨海工業地帯が広がる。 中西部には中世の自治都市の流れを汲む堺市街地が、環濠の名残りである内川・土居川に囲まれて広がる[* 1]。 内陸部は上町台地に続くごくわずかな台地が南北方向に存在するがおおむね平坦である。南北を鉄道と高速道路・国道が貫き、大阪と和歌山・高野山に通じている。
区の中心的地域は、市役所、裁判所、法務局や百貨店がある南海高野線堺東駅西側である。
地理
地形
山地
- 主な山
河川
- 主な川
土地
- 主な台地
湾岸
人口
歴史
1880年(明治13年)、郡区町村編制法施行により堺町(堺県和泉国第1大区)が堺区(郡区制)となった。その際、沿岸部に形成されていた附洲(つきす)新田も堺区(郡区制)に組み込まれた。1889年(明治22年)、市制施行により堺区(郡区制)が堺市となった。2006年(平成18年)、堺市が政令指定都市へ移行したことにより、行政区としてではあるが「堺区」の区名が117年ぶりに復活した。
市名と行政区名の一致は川崎市川崎区に次いで2例目。ただし、後に市名となった郡区制の区名[* 2]と行政区名の一致は全国初となる[* 3]。このため、「堺区」の場合は市の前身か行政区か注意する必要がある。
沿革
- 明治
- 1880年(明治13年) 郡区町村編制法施行により、堺町、梅ケ香町附洲新田、海船町附洲新田、戎島附洲新田、新地附洲新田、紺屋町附洲新田、新在家町附洲新田、蘆原町附洲新田、南半町附洲新田[* 4]を大鳥郡より分離し、堺区(郡区制)が発足。
- 1889年(明治22年)4月1日 市制施行により、堺区(郡区制)が堺市へ移行。町村制施行により、大鳥郡向井村、舳松村、湊村、三宝村、神石村が発足。
- 1891年(明治24年)2月25日 神石村大字踞尾が踞尾村として分立。
- 1894年(明治27年)2月10日 向井村大字七道を堺市に編入。
- 1896年(明治29年)4月1日 郡の統廃合により、大鳥郡から泉北郡に変更。
- 大正
- 1913年(大正2年)11月1日 向井村が町制施行。向井町となる。
- 1915年(大正4年)10月1日 湊村が町制施行。湊町となる。
- 1920年(大正9年)4月1日 向井町、湊町を堺市に編入。
- 1925年(大正14年)10月1日 舳松村を堺市に編入。
- 1926年(大正15年)10月1日 三宝村を堺市に編入。
- 昭和
- 平成
政治
行政
区長
- 歴代区長
- 番所護(2006年4月1日 - 2009年3月31日)
- 古川洋子(2009年4月1日 -)(前南区長)
国家機関
法務省
- 検察庁
裁判所
施設
警察
- 本部
- 交番
- 綾之町交番 - 綾之町東1丁1番1号
- 今池町交番 - 今池町4丁6番24号
- 霞ケ丘交番 - 霞ケ丘町1丁2番29号
- 御陵通交番 - 大仙中町18番4号
- 堺東駅前交番 - 三国ケ丘御幸通39
- 三宝町交番 - 松屋町2丁101
- 材木町交番 - 材木町西1丁1番24号
- 宿院町交番 - 宿院町東2丁1番6号
- 高砂町交番 - 高砂町2丁48
- 大仙西交番 - 大仙西町1丁18の2
- 出島町交番 - 出島浜通1番17号
- 阪和堺市駅前交番 - 田出井町1番1-100号
- 三国ケ丘交番 - 中三国ケ丘町3丁3番20号
- 安井町交番 - 中安井町3丁4番34号
- 龍神交番 - 竜神橋町1丁5番2号
- 三国ケ丘駅前交番 - 向陵中町2丁7番1号
消防
- 本部
- 出張所
- 高須出張所:堺区高須町1丁1-14
- 三宝出張所:堺区海山町5丁195-2
- 旭ヶ丘出張所:堺区旭ヶ丘中町1丁1-26
- 三国ヶ丘出張所:堺区北三国ヶ丘町4丁4-9
医療
- 主な病院
郵便局
- 主な郵便局
図書館
文化施設
- 博物館
- 劇場
運動施設
対外関係
国際機関
領事館
- 総領事館
- 名誉総領事館
公益社団
- 南アジア友好協会 - 公益財団法人日本国際育成支援機構(JIGSO)
経済
第二次産業
工業
- 主な工場
第三次産業
商業
- 主な商業施設・商店街
堺区に本社を置く企業
生活基盤
ライフライン
上下水道
集合住宅
大規模マンション
- プラウドタワー堺東
- ペルル堺ウイングタワー
住宅団地
教育
大学
- 関西大学(堺キャンパス)
短期大学
高等学校
- 大阪府立三国丘高等学校
- 大阪府立泉陽高等学校
- 大阪府立堺工科高等学校
- 堺市立堺高等学校
- 賢明学院高等学校※中高併設
- 香ヶ丘リベルテ高等学校※中高併設
中学校
小学校
閉校:堺市立湊小学校、堺市立湊西小学校→2007年堺市立新湊小学校へ統合
特別支援学校
交通
鉄道
中心となる駅:南海高野線堺東駅、南海本線堺駅、JR阪和線堺市駅
- 阪堺線:大和川停留場 - 高須神社停留場 - 綾ノ町停留場 - 神明町停留場 - 妙国寺前停留場 - 花田口停留場 - 大小路停留場 - 宿院停留場 - 寺地町停留場 - 御陵前停留場 - 東湊停留場
バス
路線バス
道路
高速道路
- 阪神高速4号湾岸線
- 阪神高速6号大和川線(計画線)
- 阪神高速15号堺線
国道
府道
愛称路
- 大道筋(大阪府道197号深井畑山宿院線、綾之町から御陵前)
- 大小路筋(吾妻橋(堺駅前)から堺東駅南口)
- フェニックス通り(国道26号大浜北町から国道310号一条通)
- けやき通り(田出井町から向陵西町)
- 海岸通り(国道26号大和川大橋南詰から大阪府道204号堺阪南線浜寺公園南)
- 御陵通り(大阪府道197号深井畑山宿院線、出島から百舌鳥駅前)
- 堺中央線(大阪府道30号大阪和泉泉南線、遠里小野橋から富木)
- 堺大和路線(大阪府道12号堺大和高田線、戎島町から南花田町東)
航路
港湾
観光
名所・旧跡
環濠内
- 廣普山妙國寺(広普山妙国寺) – 材木町東4丁。日蓮宗
- 常住山 顯本寺 – 宿院町東4丁。法華宗本門流
- 萬年山 少林寺 – 少林寺町東3丁。臨済宗大徳寺派
- 布金山 大安寺 – 南旅篭町東4丁。臨済宗東福寺派
- 唱名山 阿免寺 - 中之町西2丁。浄土宗
- 甘露山大阿弥陀経寺(旭蓮社) – 寺地町東4丁[1]
- 龍興山南宗寺 – 南旅篭町東3丁。臨済宗大徳寺派
- 菅原神社(堺天神) – 戎之町東2丁
- 堺戎神社
- 薬祖神社(神農さん) – 戎之町東2丁
- 開口神社(大寺、大寺さん) – 甲斐町東2丁[6]
- 密乘山念佛寺 – 神宮寺。喪失
- 住吉大社宿院頓宮 – 宿院町東2丁
- 堺HAMONOミュージアム
- さかい利晶の杜
- 土居川公園
- ザビエル公園
環濠外
- 旧堺燈台
- 大浜公園
- 蘇鉄山
- 境王子跡 – 菅原神社に合祀
- 方違神社 – 北三国ヶ丘町2丁
- 田出井山古墳(反正天皇陵) – 北三国ヶ丘町2丁
- 紅谷庵 – 中三国ケ丘町2丁
- 大仙古墳(仁徳天皇陵) – 大仙町
- 大仙公園 – 百舌鳥夕雲町2丁
- 堺市博物館 – 大仙公園内
- 石津神社 – 石津町1丁
- 神明神社 (堺市) – 栄橋町2丁
- 龍神堂 (堺市) – 竜神橋町2丁
- 旧丹治商会
-
妙国寺
-
開口神社(大寺)
-
顕本寺
-
旧堺燈台
-
大浜公園
-
蘇鉄山
-
大仙公園
-
堺市博物館
文化・名物
祭事・催事
- 祭事
- 催事
音楽
- 楽団
出身関連著名人
- 与謝野晶子 - 歌人、作家(与謝野鉄幹の妻)
- 清水耕介 - 元プロバスケットボール選手(bjリーグ・埼玉ブロンコス所属)
- 大口真洋 - プロバスケットボール選手(bjリーグ・浜松・東三河フェニックス所属)
- 野中和夫 - 競艇選手(日本モーターボート選手会の元会長でもある)
- 横山やすし - 漫才師(野中和夫とは中学の同級生であった)
- 大崎悟史 - 長距離走・マラソン元選手、現山梨学院大学陸上競技部指導者
- R-指定 - ラッパー (大阪府立金岡高等学校在学中に、地元大阪の梅田でのサイファーに参加し、その後MCバトルやライブ活動を開始する)
- 近藤大亮 - プロ野球選手 (読売ジャイアンツ所属)
- 愛斗 - プロ野球選手 (千葉ロッテマリーンズ所属)
- 小芝風花 - 女優
- 吉田朱里 - 元NMB48メンバー
脚注
注釈
- ^ 中世、とりわけ戦国時代に栄華を極めた堺市街地は、1615年(慶長15年)の大坂夏の陣において全焼。現在見られる町割は、元和年間の復興によるものである。
- ^ 区から市に移行する際に1区だけ置かれた場合は市名、複数の区が置かれた場合(東京の15区・大阪の4区・京都の2区)は行政区名となった。区の中で唯一市に移行できなかった伏見区も伏見町をえて伏見市として市制を施行したが、のちに京都市に編入され再び伏見区となっている。
- ^ なお、川崎市は1924年7月1日の橘樹郡川崎町、御幸村、大師町の新設合併で誕生したため、川崎市の前身である「川崎区」は存在しない。
- ^ 堺区(郡区制)発足と同時に、梅ケ香町附洲新田と海船町附洲新田を統合して北附洲新田、新地附洲新田を中附洲新田に改称、紺屋町附洲新田・新在家町附洲新田・蘆原町附洲新田・南半町附洲新田を統合して南附洲新田となった。現在の町名では、北附洲新田は三宝町1丁、戎島附洲新田は戎島町4・5丁と北波止町、中附洲新田と南附洲新田は大浜各町に概ね該当する。
出典
参考文献
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関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 堺動画チャンネル - YouTubeチャンネル
- 堺市広報課 (@sakai_koho) - X(旧Twitter)
- 堺市広報課 (koho.sakaicity) - Facebook
- ウィキトラベルには、堺区に関する旅行ガイドがあります。
- 堺区に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ