助川徳是
助川 徳是(すけがわ のりよし、1933年2月21日 - 2016年6月19日)は、日本近代文学研究者。名古屋大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 |
1933年2月21日 日本東京都 |
死没 | 2016年6月19日 (83歳没) |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 文学(日本近代文学) |
研究機関 | 福岡女子大学、名古屋大学 |
経歴
編集1933年、東京生まれ。東京大学を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科博士課程を満期退学[1]。
その後は学習院高等科教諭となった。1967年、福岡女子大学助教授に就く。名古屋大学教養部教授となり、後に情報文化学部教授。1996年に名古屋大学を定年退官し、名誉教授となった。2016年6月19日、間質性肺炎のため中日病院で死去[1]。83歳没。
研究内容・業績
編集- 日本の近代文学を研究テーマとした。魚住折蘆に光をあてるなどの業績がある。
著書
編集- 『九州・沖縄』学燈社(文学と史蹟の旅路) 1978
- 『東海の文学散歩 郷土作家の足跡を求めて』中日新聞本社 1981
- 『漱石と明治文学』桜楓社 1983
- 『啄木と折蘆 「時代閉塞の現状」をめぐって』洋々社 1983
- 『野上弥生子と大正期教養派』桜楓社 1984
編・解説
編集論文
編集- 助川徳是「安倍能成年譜」『香椎潟』第14巻、福岡女子大学、1968年8月、60-70頁、ISSN 02874113、NAID 110004671845。
- 助川徳是「啄木文学の原風景」『名古屋近代文学研究』第15号、名古屋近代文学研究会、1997年12月、81-88頁、ISSN 02890658、NAID 40004471278。
- 助川徳是「夏目漱石と日露戦争・序説」『香椎潟』第19巻、福岡女子大学、1973年10月、67-78頁、ISSN 02874113、NAID 110004679840。
- 助川徳是「啄木と折芦」『文芸と思想』第32号、福岡女子大学文学部、1968年11月、1-30頁、ISSN 05217873、NAID 110000211978。
- 助川徳是「荷風の「江戸」ノート」『文芸と思想』第36号、福岡女子大学文学部、1972年2月、1-9頁、ISSN 05217873、NAID 110000212001。
- 助川徳是「朝日文芸欄の一面」『文芸と思想』第31号、福岡女子大学文学部、1968年2月、1-14頁、ISSN 05217873、NAID 110000211969。
- 助川徳是「「漱石と白樺派」西垣勤」『国語と国文学』第68巻第4号、至文堂、1991年4月、p64-69、ISSN 03873110、NAID 40001296897。
- 助川徳是「荷風の習作」『研究紀要学習院高等科』第3号、学習院大学、1967年9月、123-113頁、NAID 110007818187。
脚注
編集- ^ a b 【ウェブ便り12号】各種講演会等告知・報告 あいち文学ブログ(あいちウェブ文学館ブログ)
参考文献
編集- 文藝年鑑2007
- 助川徳是「書韻の人」『香椎潟』第37巻、福岡女子大学、1992年3月、95-96頁、ISSN 02874113、NAID 110004679913。