ベネディクト・レーツル
ベネディクト・レーツル(Benedict Roezl、1823年8月13日 - 1885年10月14日)はオーストリアの園芸家である。南北アメリカのランを収集しヨーロッパへ送った。
略歴
編集現在はチェコのHoroměřiceに庭師の息子に生まれた。13歳から庭師の訓練を受け、ヨーロッパ各地で、庭師として働いた。ヘントの園芸学校の主任を務めた後に、1854年に初めてメキシコに渡り栽培園を開いた。1867年に、ヘンプ(大麻繊維)やラミー(苧麻繊維)の洗浄する機械を開発するが、1868年にキューバのハバナでのデモンストレーションを行った時に、事故を起こし左腕を失った。その後は義手をつけて暮らした。30年間にわたって南北アメリカのランを収集、栽培しヨーロッパへ輸出する仕事を行った[1]。イギリスのラン研究家で種苗商のサンダー(Henry Frederick Conrad Sander)が協力者となった。たとえば1869年には、ペルーやコロンビアやベネズエラの10,000本以上のラン(多くは航海中に枯死したが)をロンドンの取引所に送った。取引所で高価で取引された、白いカトレア(Rhynchostele cervantesii)などのランの収集を行った。800種を越えるランの採集を行い、オンシジューム属のシノニムであるRoezliella属やMiltoniopsis roezliiなど40を越えるランの種やザミア科の種、Zamia roezliiやオオバコ科の種、Penstemon roezliiにレーツルの名前がつけられた。
著作
編集- Benedikt Roezl, Catalogue des graines de conifères mexicains, 1857,
- Benedikt Roezl, Poslední má cesta na západní pobřeží mexické (Mon dernier voyage sur la côte occidentale du Mexique), in Flora, vers 1880, trad. de l'allemand.
- Benedikt Roezl, Rostliny mnou v severní a jižní Americe objevené (Les plantes que j'ai découvertes en Amérique du Nord et du Sud), in Flora, vers 1880, trad. de l'allemand.
脚注・出典
編集- ^ Florence Thinard, L'Herbier des explorateurs, Toulouse, éd. Plume de carotte, 2012, p. 120
参考文献
編集- Fritz Encke, Günther Buchheim, Siegmund Seybold: Handwörterbuch der Pflanzennamen. Begründet von Robert Zander. 13. Auflage. Eugen Ulmer, Stuttgart (Hohenheim) 1984, ISBN 3-8001-5042-5.