ナウム・ガボ
ナウム・ガボ(Naum Gabo, Наум Габо, 1890年8月5日 - 1977年8月23日)は、ロシア・アヴァンギャルドの美術家、彫刻家。ロシア構成主義の命名者の1人とされることがあり(ただし、メドゥニツキー(Константин Константинович Медуницкий, 1899年-1935年)とステンベルグ兄弟を命名者とする文献もある)、構成主義への初期からの参加者でもある。なお、アントワーヌ・ペヴスナーは実兄[1]。
略歴
編集1910年、ミュンヘンで学ぶ(薬学、工学、数学など美術とは関係のない分野であった)。そのときに、青騎士を知りその影響を受ける。1913年ごろ兄のいたパリを訪問し、キュビスムの影響を受ける。1914年には第一次世界大戦の開始を受けてデンマークのコペンハーゲンに移り、1915年にはペヴスナーとともにノルウェーのオスロに移る。
1917年の2月革命後、ペヴスナーとともにモスクワに戻り、タトリンなどと交流する。1920年にはペヴスナーとともに「リアリスト宣言」を発表。ガボはロシア革命後の前衛芸術の重要人物であり、彼はロシアの彫刻文化の発展に寄与した[2]。
1923年には、スターリンから逃れベルリンへ移転した。1931年には「アプストラクシオン・クレアシオン」に参加、またバウハウスとも接点を持っている。
1932年には、パリに、さらにロンドンを経て、1946年にはアメリカに移住。1948年には、ニューヨーク近代美術館において、「ガボ・ペヴスナー展」を開催。
脚注
編集- ^ コトバンク-ナウム ガボ参照
- ^ Tate Gallery. Naum Gabo biography 2023年12月6日閲覧